みずがめ座
流動化をはかる
「行きなさい」
今週のみずがめ座は、イエス・キリストのムーブのごとし。あるいは、ひとつの癒しのわざとして野生の回復をはかっていこうとするような星回り。
キリスト教思想研究で知られる柳澤田実は「イエスの<接近=ディスポジション>」という論文の中で、「イエスの身体的行為は、福音書の編纂者たちが示したイエスの人物像を最も雄弁に語る情報である」と指摘した上で、その特徴について次のように述べています。
イエスの身体的行為の第一の特徴が、留まらず、常に移動することであることは間違いがない。人々が引きとめても、イエスは移動を止めることはなかった。このように恒常的に運動・移動するという性質は、イエスが人びとに付与するものでもある。イエスは、足の萎えた男に、悪霊に憑かれた人に、出血を患っていた女性に、「行きなさい」と声を掛ける。この言葉に促されて、イエスに接触された人々は、歩き始める。
柳澤は「イエスの活動の核心はその恒常的な運動性や移動性にこそあるのだ」と述べつつ、さらにイエスやその弟子たちが移動しながら実現させている人々との「出会い」や「邂逅」の特徴として、「唐突な物理的接近と近さの表明」を挙げています。
例えば「隣人とは「……である」という仕方で固定的に定められるものではなく、各人が「なる」という仕方で実現するべき実践であ」るとして、「(隣人)愛とは、強い情動と、距離をつめて「近づく」という身体的行為のカップリングに他ならない」のだと。
こうした観点からみると、イエスが人々にもたらした「癒し」とは、他者とは共有も説明も不可能な極めて内面的な宗教体験というよりも、むしろ彼によって滞っていた状態から流動化されて「歩いて行った」人々が、それだけで終わるのではなく、イエスの接近によって直接情動を突き動かされることで生じた愛を、自身もまた他の誰かに「近づく」ことでまた愛を引き起こしていく側に回っていくという仕方で、連鎖的にそのネットワークを広げていくようにしてもたらされていった、ある種の運動(ムーブメント)としての側面を持っていたのだという解釈が成り立つのではないでしょうか。
5月8日にみずがめ座から数えて「本拠」を意味する4番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分はどんな連鎖の環のなかに身を置いていくべきなのか、改めて振り返ってみるべし。
人生の土壌
日本人の先祖ははるか3万年ほど前に海をわたってこの列島に住みついたと言われています。そして、その中には舟とともに籾をつんで、稲作をはじめた人もいたのでしょう。それ以来、この日本では稲作を中心に社会は栄え、夏には田植えをして、秋には稲刈りをするという作業を気が遠くなるほどに繰り返してきたのです。
春の田んぼでは、田植えの準備として春におこなう田打ちが行われ、それは連綿と受け継がれてきたサイクルに、いよいよ入っていく際に必ず行うイニシエーションのようなものでもありました。
気が遠くなるほど田を掘り返しても、列島の土壌から豊かさは失われることなく、そこに住む日本人に富と豊かさをもたらし続けてきてくれた訳ですが、それと同様に、あなた個人においても、これまで何度も何度も繰り返し心の豊かさを与えてきてくれたものがどこかにあるはず。
今週のみずがめ座もまた、そんな自分の下で静かに横たわり、目立たないところで支えてくれた人生の土壌について思いを馳せてみるといいでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
野生の回復