みずがめ座
一世一代の毒出し
ソーニャの支え
今週のみずがめ座は、ソーニャに触れたラスコーリニコフのごとし。あるいは、自分がないがしろにしてきたものに触れることによって生まれ変わっていこうとするような星回り。
罪悪感というのは、たとえほんの些細なものであったとしても、抱え続けていくうちに次第に攻撃性や支配欲、怒りといったさらにネガティブな感情へと変化していって、心の根本的なところを蝕んでいくものですが、そうした本質や過程について徹底的に探究した作品としてはドストエフスキーの『罪と罰』をとりあげない訳にはいきません。
主人公ラスコーリニコフは元大学生の引きこもりニートで、ボロアパートの屋根裏部屋でギリギリの困窮生活をしているのですが、自尊心が高く知性も教養もあるにも関わらず、強欲な金貸しの老婆を殺してそのお金を奪うという恐ろしいたくらみに憑りつかれ、実際に殺してしまいます。ところが、その現場を老婆の腹違いの妹に偶然見られてしまい、勢いで彼女まで殺してしまうのです。
強欲な金貸しを打倒するだけならまだしも、これはさすがに法的にも道徳的にも完全にアウトだと感じたラスコーリニコフは、思い悩み過ぎて支離滅裂なことを口走りながら町を徘徊するようになりますが、たまたま出会った娼婦のソーニャの友情と愛に支えられ、やがてみずからの犯行を自白するに至ります。彼は罪を隠し通すこともできたかも知れません。しかし、ソーニャは罪を告白することなしには人生を取り戻すことはできないのだと分かっていたのです。
ここではラスコーリニコフは近代都市と個人主義のはざまにある孤独や虚無の象徴であり、一方の見捨てられた人間ではあるが素朴であたたかなソーニャは大地そのものと言えます。同様に、2月14日に自分自身の星座であるみずがめ座で火星と冥王星とが重なって「埋蔵されていた宝物」が強調されていく今週のあなたもまた、ラスコーリニコフにおける「大地に触れる」ということを自分なりに経験していくことになるかも知れません。
どうしたら自分を許せるか
結果的に言えば、小説の題名でもある「罪と罰」を、ラスコーリニコフひとりでは引き受けることはできませんでした。それは「個の確立」こそが人としての成熟であり、自分のことは自分でし、何か事が起これば「人に迷惑をかけない」ことが絶対的な善であると教わってきた日本人的な道徳観からすれば、問題があると言わざるを得ないかも知れません。
しかし、それでも罪悪感に打ちのめされた“個”の象徴としてのラスコーリニコフは、偶然にもソーニャ即ち大地のような、意識を底支えする「無意識」に触れて、それに任せて行動していった結果、彼ははじめて罪悪感を祓い清め、生まれ変わることができたのです。
今のみずがめ座の人たちも、少なからず彼と同じプロセスを必要としているのではないでしょうか。つまり、どこかで見ないふりをしたり、なかったことにしていた、心の奥底に引っかかっているかすかな罪悪感や、その兄弟分である羞恥心と向き合っていかざるを得なくなったり、どうしたら自分を許すことができるのかということに。
みずがめ座の今週のキーワード
罪悪感こそ人生最大の毒