みずがめ座
もう一度卵へ
おぞましい息遣いへの認識
今週のみずがめ座は、『八方の枯れをうかがふ女郎蜘蛛』(宮田千鶴子)という句のごとし。あるいは、身近な界隈に潜んでいる悪をきちんと悪として認識していくような星回り。
数ある蜘蛛の中でもひときわ大きく、最も貪欲なサガと見えるのが「女郎蜘蛛」。通常、彼らの寿命は1年ほどで、夏から秋の終わりにかけ、あちらこちらの樹間に網を張って獲物を狩っては栄養をつけ、冬に入る頃に産卵をして生涯を終えていきます。
しかし掲句に詠まれた「女郎蜘蛛」とは、ひと霜ふた霜の寒気などではまったく衰えを見せず、毒々しいまでに肥大化した個体なのでしょう。
それはもはや艶やかな「女郎=遊女」というより、姦計(かんけい)をめぐらせては罠にかかった獲物やオスの生き血を吸い尽くし、同類のあいだに君臨しているような年増の悪女の相であり、「八方の枯れをうかがふ」という叙述からは古来から伝わる山姥などの異形の存在の生きざまや、おぞましい息遣いさえ感じられます。
やはり女性である作者にとって、そんな女郎蜘蛛とは自分の身に流れるサガの行き着く果てを暗示したものなのか、それとも身近な人間関係や関係組織のなかに紛れ込んでいる身中の虫の姿なのか。
少なくとも、日本経済が一段と厳しくなった冬の時代に突入していると言われる今のご時世にあって、人の生き血を吸うことばかり考えている人たちはどこの界隈でもウヨウヨしているのではないでしょうか。
12月13日にみずがめ座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、遠ざけたり、対決していくべき存在は、うやむやにしたまま放置するのでなく、改めてその脅威や対処法について考えを深めていくべし。
私を殺し、私を創る
批評家の安藤礼二は、江戸川乱歩は作品を書くことを通じて「女性」になろうとしていたし、そのために「私」を徹底的に分断して、自らの想像力のみを駆使してまったく新しい理想の「女性」として再構築していったのではないか、という指摘をしています。
女になること。その場合の女とは、肉体的な現実をもった女ではない。乱歩の「女」とは、生物学的な「差異」でも、制度的な「差異」でもない。逆にその「女」はさまざまな「差異安藤礼二」を生み出す地平、絶対的な「官能性」とでも名づけるほかない領域に存在する。それは森羅万象のすべてを官能として受容する純粋な感覚世界の新たな想像であり、その感覚の全面的な解放である。(安藤礼二、『光の曼陀羅 ―日本文学論― 鏡を通り抜けて 江戸川乱歩『陰獣』論』)
乱歩ほど徹底的に実行できるかはさておき、今週のみずがめ座にもまた、「私」を再構築することへの鬼気迫る情熱のようなものを感じてなりません。
自分が制度や生物学的な分類を超えたところで、一体何を望んでいるのか。今はその夢想の根底へと一歩ずつ、しかし着実に歩を進めていくことです。
みずがめ座の今週のキーワード
両性具有化