みずがめ座
因縁とその素材
平凡なる不思議
今週のみずがめ座は、岡本かの子の料理小説のごとし。あるいは、不思議な因縁とも言うべきものを味わっていこうとするような星回り。
岡本かの子の遺稿として発表された『家霊』という小説のあらすじはこうです。都心で繁盛しているどじょう屋「いのち」の娘であるくめ子は、母に代わって帳場にすわるようになる。そこへ老人の彫金師が来てごはんつきのどじょう汁の出前を注文する。この老人は、いつも“つけ”で食べており、それが大金(今の金額でいうと50万くらい)になっても払わない。古くからいる店員は追い返すのですが、くめ子は彼の魔術的な弁説にほだされ、またつけで食わせるはめになってしまった。それ以降、老人はだんだんと痩せ枯れながらも、毎晩必死にどじょう汁をせがみに来る。
ただそれだけの話なのですが、くめ子が老彫金師のたかりに応じてしまった背景には、どじょう屋に棲みつく家霊が関係しているようなのです。くめ子の母もまた、どじょう屋のよどんだ家霊である薄暗い女の諦念にいつの間にかそそのかされて、払うはずのないつけで食わせていたと。そして老彫金師のたかりにも、ただならぬ妖気がたちこめており、それがこの小説の核なのです。
例えば、追い返された老人が彫金の芸を見せて言うことには、「人に妬まれ、蔑まれて、心が魔王のやうに猛り立つときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ嚙み潰して行くと、恨みはそこへ移つて、どこともなくやさしい涙が湧いて来る」のだと。世におしいそうな料理小説は数あれど、ここまで鬼気迫るような描写をもった妖しげな料理小説はめったにありません。
8月31日にみずがめ座から数えて「価値」を意味する2番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたにとって、もし老彫金師にとってのどじょう汁にあたるものがあるとすればそれは何か、考えてみるといいでしょう。
「吟行」に出かける俳人のように
吟行とは、俳句の題材を求めて景色のいい場所へ出かけて、その場で何句かを作っていくこと。よく「文は人なり」とも言いますが、例えば山や湖などの大自然に触れてそれを言葉にする際にも、私たちは自然を通して人間を、そしてあくまで自分を通して心のなかに映しだされる景色を見ていきます。
つまり、ただ名所・旧跡のような“いい素材”を得たからといって、いい俳句ができるとは限らないのです。そのためか、吟行で作られた作品でいいなと感じるものは、大抵どこかひっそりとしていたり、あるいは、余計なこわばりのない、あっさりとした印象のものが多いように思います。
それは、人の目にどう映るかはともかく、自分としては一番ウブな気持ちになって、そういうウブな気持ちのなかにあざやかにみえた風景を17文字で切り取っているからでしょう。
そして、そういう一句を自分の作品としていく上で一番大切なことは、「平凡さを恐れない」ということなのではないでしょうか。
今週のみずがめ座もまた、そんな風に自分にとって真に価値ある素材を見出すための「吟行」に臨んでいくつもりで過ごしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
どこかひっそりとしていたり、あるいは、余計なこわばりのない、あっさりとした印象のもの