みずがめ座
かくれんぼへの招待状
近くと遠くを行ったり来たり
今週のみずがめ座は、遠くて近いあの世のごとし。あるいは、“招き”に応じてまなざしを開いていこうとするような星回り。
「草葉の陰」などとも言うように、キリスト教圏などとは違って日本人にとって、あの世はかぎりなくこの世に近く、死者は<すぐそこ>にいるものと考えられてきました。
例えば、民俗学的な資料の後付けのもと、そうした「日本人の他界観」をはじめて明確に言語化した柳田國男の『先祖の話』によれば、そこには4つの特徴があるのだそうです。
1.ひとは、死んだあとでも、この国のなかに、霊としてとどまる。この国から超絶した彼方に往くとは、思っていない。
- あの世とこの世という幽顕二界のあいだの交通が、頻繁におこる。定期的な祭りばかりではなく、死者からも生者のがわからも、招き招かれるという生死往還、彼此往来が、そんなに困難なことではなかった。
- 生前の念願は死後にも達成される。だから死者は、子孫のためいろんな計画を立てて、子孫を助けている。
- 死者はふたたび、みたびこの世に再生すると思っていた者もおおかった。
こうした近傍他界観によれば、なにか特別な別世界などというものはなくて、もし他界にひらくまなざしがあるとすれば、それはこの世を見ている(ただし別角度から)ということになります。
そうだとするなら、私たち生者のまなざしの中に死者のまなざしが重なる瞬間というのは、そう珍しいことではなく、日常的に起きていることになりますし、特に8月のお盆というのは、最も生者のまなざしに死者が住みつきやすいタイミングでもあるのかも知れません。
16日にみずがめ座から数えて「接触」を意味する7番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな風に死者の存在や彼らなりのまなざしに改めて触れていくことがテーマとなっていきそうです。
自分とのかくれんぼ
では、死者のまなざしに触れると、どうなるのか。これは例えば、今よりずっと未熟だった過去の自分や、どうしても許せなかったことなどが、まるで“かくれんぼ”のように現在のあなたを取り巻く状況や、これから起きてくるだろう事態の中に潜んでいて、死者=鬼はそれを見つけるのだと考えてみると、いくらか分かりやすいでしょう。
隠れているのも自分ならば、それを見つけていくのもまた自分に他ならない訳ですが、後者というのはじつは死者のまなざしを借りることではじめて可能となるのです。そうして、鬼が隠れた自分を見つける度に、未来は過去の映った鏡となり、過去は未来の記憶として見えてくるはず。
そういう通常の「時間の流れ」が逆流しているかのような感覚の中で、あなたはかつて苦しかった頃、何をこの宇宙に誓ったのかを思い出し、そうして初心に返っていくことで再び一歩二歩と前進していくのに必要な想像力を得ていく。
その意味で、今週のみずがめ座もまた、まだまだ自分はそんな道の途上にいるのだと、改めて思い知ってゆく時なのだとも言えるかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
過去こそ未来の記憶である