みずがめ座
旅路を振り返る
自分を見つめる視線の強さ
今週のみずがめ座は、『足のうら洗へば白くなる』(尾崎放哉)という句のごとし。あるいは、みずからの生き様の痕跡をじっと強い視線で見つめていくような星回り。
いろいろと働いて真っ黒になっていた足が、洗うと白くなったという、ただそれだけの句。しかもそれは健康的な白さというよりは、どこか病的な青白さとして作者の目に映っていたのではないでしょうか。
普通の人なら、白髪を見つけてみずからの老いにショックを受ける中年初期の通過儀礼のように、少なからず寂しさを感じてしまい、どこか悲鳴のような句になってしまうところですが、掲句はそれをあくまで一つの事象として、突き放して見つめているような精神の静けさが感じられます。
おそらく、こうした境地にいたるまでに、作者は眠れない夜やそこを踏み出せばもう後戻りできないという境界線を幾度となく越えてきたはず。そうして、もうずいぶんと遠くまで来たという実感と、それでもまだ捨てきれない未練とがせめぎ合ったところに、この句はふっと湧いたように生まれてきたのではないか。そんな気がします。
7月10日にみずがめ座から数えて「反復」を意味する3番目のおひつじ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、現在地点にいたるまでに自分がこれまで何をどう繰り返してきたのかを再確認していくことになるかも知れません。
たて糸によこ糸を通していく
起こった瞬間においては、その価値や意味が分からない出来事というのは確かにある。それは人の心の奥深くに入り込み、長い時間をかけてかたちをなし、再び意識の表面に浮上してきたところで、ようやくすくい取られていくのです。
それは誰かに言われた言葉だったり、目にした光景だったり、あるいはあるひとりの人物の影響そのものだったりと、人によってまちまちですが、私たちのこころには大抵はどこかでそういうものが2、3個ひっかかっていては、すくい取られる瞬間を待っているのではないでしょうか。
例えば須賀敦子の文章はどこか、そんなかすかな記憶の底からそっとすくい取られたようにして綴られていますが、例えば下記の箇所などは今週のみずがめ座の人たちがなすべきことが簡潔に暗示されているように思います。
「線路に沿ってつなげる」という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが同時に、それだけでは、いい物語は成立しない。いろいろ異質な要素を、となり町の山車のようにそのなかに招きいれて物語を人間化しなければならない。(『霧のむこうに住みたい』)
みずがめ座の今週のキーワード
線路に沿って石けりを