みずがめ座
無意識をひもとく
社会構成と夢見
今週のみずがめ座は、ある高齢の異性装者のブロガーの話のごとし。あるいは、自分がどんな「普通」を夢見ているのか、改めて問い直していこうとするような星回り。
社会学者・岸政彦の『普通であることへの意志』というエッセイに取り上げられたそのブログは、個人がひっそりとやっているもので、天気の話やその時々の時事問題や身近な社会問題への感想や苦言が時に昔の思い出話を交えて淡々した筆致で書かれているのだと言います。それだけであれば、特筆すべきことはないのですが、ただどの記事にもブログ作成者本人の写真が、何の説明もなく、ただ静かにそこに並んでおり、それが「全体として、このブログを、なにか独特のものにしている」のだと。
というのも、普通は自身のマイノリティ性を明らかにする場合、何らかのメッセージを載せたりして防衛線を張りがちなのにも関わらず、そうしたことを一切やっていないがゆえに、そこには見る側にとって不思議な静謐さが感じられたのです。岸はこう述べています。
彼女は誰とも、何とも闘ってはいない。そうした闘いを飛び越えて、最初からそういうしんどい闘いが存在していなかった世界を、自分だけの小さな箱庭で実現しているのである。/誰も、誰からも指を指されない、穏やかで平和な世界。自分が誰であるかを完全に忘却したまま、自由に表現できる世界。それは、私たちの社会が見る夢である。
4月13日にみずがめ座から数えて「夢見」を意味する12番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がただなんとなく多数派的な意味での普通に甘んじているのか、それとも、先の異性装者ブロガーのように普通であることに意志をもって臨んでいるのか、改めて考えてみるといいでしょう。
『新世紀エヴァンゲリオン』の沈黙と下降
『エヴァ』のじつに象徴的なシーンの1つに、主人公の碇シンジと綾波レイが、生物兵器エヴァンゲリオンに搭乗するために地下基地に降りていく場面があります。
彼らはいっさい言葉を交わさず発せず、ただひたすらに地下に降りていく。おそらく1分近く画面がまったく変化しないため、見ている人の中にはフリーズしたかと勘違いする人もいたでしょう。ただ、それがエレベーターの乗り込む場面と降りる場面にサンドイッチされていることで、はじめてその沈黙の深さに思い至ることになる訳です。
どこまでも降りていくことによって開かれてくるもの。それは、どうしようもないほどの無明感情、エヴァ的に言えば「堕天使の哀しみ」であり、「自分はどうにもならない」、「救われない」、「生まれてこなければよかった」、「生きていてもつらいだけ」、「誰からも普通扱いされない」、「普通の人間でなくなった」などといった苦悩の感情であるはず。その意味で、あのエレベーターのシーンというのは、世の中の人が見ている夢に意識的に分け入っていく場面でもあったのかも知れません。
今週のみずがめ座もまた、いたずらに言葉を重ねこねくり回すかわりに、不要不急な言葉はなるべく伏せて、それらの背後にある根本的な感覚をこそ深めてみるべし。
みずがめ座の今週のキーワード
夢見るべき普通を問う