みずがめ座
業熟ということ
選ばれた人のしるし
今週のみずがめ座は、入門者を門の外に放っておく禅僧のごとし。あるいは、縁が熟していくのを待っていこうとするような星回り。
心理療法家の河合隼雄がかつて「ノイローゼになる人というのは選ばれている」ということを言っていました。何らかの身体的な症状が現れてくるというのは自分の意識を越えた世界からサインをもらったということであり、大げさに言えば「転生」の機会を与えてもらっているのだと言うのです。
ただ、それは逆に言えば、ニューロティックな、ノイローゼ的なところを乗り越える力を試されているということでもって、そういう力のない人の場合はかえって悲惨なことになってしまうということでもあります。
禅の世界でも、入門したいと言ってきた人に対して、門の外に放って置くという話が伝えられていますが、そこで3日も座っていられないような人はまだ「縁が熟してない」と判断されるというのも、同じことなのだと思います。で、3日たってもまだ座り続けているような人は「業が深い」わけです。
16日にみずがめ座から数えて「変容」を意味する8番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どこかでそういう業の深さや縁の熟し具合を確かめていくようなところが出てくるでしょう。
早くわからない方がいい
「われ思う、ゆえにわれあり」というデカルトの有名な言葉は、誰しもが一度は聞いたことがあるのではないかと思いますが、一方でこの言葉ほど多くの人に「分かったつもり」になられてしまっている言葉もないのでないかと思います。
デカルトはこの世界の普遍的真理を認識していく上での出発点として、あえてすべてを疑いつくすという「方法的懐疑」を掲げ、その到達点として冒頭の一節に至った訳ですが、その過程をまとめた『方法序説』を書くまでに、彼はじつに41年の人生を要しました。
もちろん、着想自体はもっとずっと若い頃に既にあったようですが、それを自分で検証するために十分な期間をかけて世の中を遍歴してまわっていったのです。本の中にも、次のような箇所があります。
ある種の精神の持ち主は、他人が二十年もかかって考えたことすべてを、二つ三つのことばを聞くだけで、一日で分かると思い込み、しかも頭がよく機敏であればあるほど誤りやすく、真理をとらえる力も劣っている。」
とにかく分かりやすく、早く、一度で分かることに価値を与える現代人にとって、これはなかなか耳の痛い指摘ですが、特に物事を「深く確かに知る」ことが求められている今のみずがめ座にとっては、こうしたデカルトの姿勢は大いに指針となっていくのではないでしょうか。
みずがめ座の今週のキーワード
普段使っていない回路を使うこと