みずがめ座
虚構を通して現実を見る
廃墟のミニチュア
今週のみずがめ座は、被災地のミニチュア写真のごとし。あるいは、自分が現に片足を突っ込んで住んでいる世界を俯瞰的に捉えていこうとするような星回り。
大判カメラで街をミニチュアのように撮影する独特の作風で知られる写真家の本城直季は、2011年の東日本大震災当時、即座に被災地の撮影にも向かい、崩壊した街の姿を空撮で収めた写真の数々は大いに話題を呼びました(『tohoku 311』)。
2022年に開催された「(un)real utopia」展に際して、本城は当時を振り返って「あのときは連日テレビで報道される被災地の光景が頭から離れなくなり、街がなくなるとはどういうことか、自分の目で確かめてみたくなった。そしてそれを記録として残しておこう。それだけでした。(…)自分が住んでいる世界が、どうなっているか見続けていきたいだけなんです」と述べています。
現実からリアリティが剥ぎ取られた当時の様子を、その作りものの箱庭を写した、時が停まってしまっているような写真は、確かに人間の直接的な視認以上に正確に当時の状況を捉えていたのでしょう。
あれから10年以上の時が経過したはずのいま、私たちが住んでいる世界はどんな様相を呈しているのか。虚構を通して現実を見るのがよりリアルであるとするならば、私たちは今もなお現実のなかに壊れかけた虚構を見出すこともできるはず。
11月1日に自分自身の星座であるみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした虚と実のあわいで、今こそ見るべきものを見ていくべし。
可能なことと不可能なこと
では、目を曇らさずにあり続けるためには、私たちはどんなことに気を付ければよいのか。その点について、古代最大の教父であり、精神の秘密について鋭く迫ったアウグスティヌスは次のように述べています。
どこに存在するにしても、まだそれが何であるにしても、現在として以外には存在しない……それにまた、過去が真実なものとして語られるとき、記憶のなかから取り出されるのは、過ぎ去ったものそのものではない。そうではなくて、過ぎ去りながら感覚を通して精神の中に、いわば痕跡をとどめたものの心象から把握された言葉である。(『告白』11巻18章、今泉・村治訳)
そう、アウグスティヌスの言葉を借りれば、私たちは「(感覚を通して)現在に到来しつつ精神の中に、その写しとしてとどまった予感から、言葉を紡ぎ出すこと」ができるだけなのであって、つまりは絶対的に主観的にしか何かを語ることはできないのです。
その意味で、今週のみずがめ座は、いつも以上にエゴに左右されないフラットな状態で自分について判断を下していくことができるはず。
みずがめ座の今週のキーワード
曇りなき眼(まなこ)