みずがめ座
ワーズワース的転回
流動体の機能への参与
今週のみずがめ座は、『爽やかやからだにかすかなる浮力』(日下野由季)という句のごとし。あるいは、水の中にポッカリと浮いていくような星回り。
澄んだ秋の大気の心地よさを感じて、それを詠うことから出発しつつも、それだけに終わらず、「からだ」を伴ってこの地球上に在ることの不可思議さに開かれていった一句。
水の中に入れば誰もが「浮力」を感じることができますが、掲句ではそれを陸上にいながら、何気なく風を押しやる動作を通して感じ取っていきます。そして動作を重ねていく中で、ついに自分は“地上の居住者”なのではなく、大気という流動体に浮かびながら暮らしているのだということに気がついていくのです。
その流動体のなかでは、あらゆるものが相互に触れあい、交流しつつ、広がっており、人間は他の生物と同様、そうして息を吹き込まれ、共有され、浸透しあう空間においてのみ、つねに生き永らえてきたのです。その意味で、大気のなかで暮らすとは、そうした流動体の機能に参与することに他ならず、それこそが生物が存在する上での最も基本的な性質なのだとも言えるかもしれません。
9月18日にみずがめ座から数えて「再誕」を意味する5番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、ごくごくシンプルな営為を通して、「在る」とか「生きる」ことの位置づけを捉え直していきたいところです。
みだりに単純化しないこと
掲句をめぐって思い出される哲学者にホワイトヘッド(1861~1947)がいます。彼は哲学とは世界記述のための新しいジャンルであり、詩のようなものだと考え、こよなく愛したイギリスの大詩人ワーズワースをとりあげ、次のように書いていました。
もちろん、誰も疑わないことだが、ワーズワースは、ある意味では、生物が無生物と異なることは認めてはいる。しかし、それは、かれの眼目ではない。ワーズワースの念頭にあるのは、丘にたれこめる霊気である。かれのテーマは、全体相の自然だ。すなわち、われわれが個体とみなすどんなばらばらの要素にも刻印されている、周囲の事物の神秘的な姿を強調するのだ。かれは、個々の事例の色調にふくまれた自然の全体をいつも把握する。(『科学と近代世界』)
そう、私たちが住んでいるのは、信じられないくらい複雑で錯綜した世界なのであって、精神とか肉体といった「わかりやすいもの」が別々にあり、他のものと無関係に独立して存在している訳ではなく、まず「なんだか分からないけれど、ここで自分も、とめどなく複雑な何かに関係している」という感覚的把握が根底にあるはずです。
その意味で、今週のみずがめ座もまた、対象と自分を切り離して分析する自然科学的なものの見方をいかに乗り超えていくことができるかがテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
全体相の自然=大気の流動