みずがめ座
思考停止におさらばする
バイブルを捨ててみる
今週のみずがめ座は、『サルトルを手放すために曝しけり』(岬雪夫)という句のごとし。あるいは、思い切って方向転換する勇気を奮っていこうとするような星回り。
フランスの哲学者サルトルの著作は、団塊の世代が若者だった時期の日本の学生にとってまさにバイブル的存在であり、個人的にも筆者の通っていた高校の校長先生が、事あるごとにサルトルからの引用を口にしていた記憶があります。
作者は戦前の生まれで、団塊の世代より一回り上ではありますが、やはり青春の形見としていつまでも手放せなかったのでしょう。一般に、書を曝すことを「虫干し」ともいいますが、掲句の場合も、ある種の消化不良や感情的なわだかまり、はたまた過剰な執着などを封じるために、頭のなかの「サルトル」という虫を干そうとしているのだとも言えます。
そしてそのためには、天気のいい日を選んで、風通しのよい場所に書をおいて、書にしみこんだ、汗や香り、湿気などを乾かしてサラサラにしていかねばなりません。
同様に、7月7日にみずがめ座から数えて「探求」を意味する9番目の星座であるてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、何度でも問いの前提を問い直し、探求そのものをリフレッシュさせていくことがテーマとなっていくでしょう。
絶望から始めよう
RADWIMPSの『おしゃかさま』の歌詞に次のようなくだりがあります。
馬鹿は死ななきゃ治らない/なら考えたって仕方ない
さぁ来世のおいらに期待大/でも待って じゃあ現世はどうすんだい
ならば どうすればいい?/どこに向かえばいい
いてもいなくなってもいけないならば どこに
この曲では、「神様」「来世」「天国」「地獄」などの言葉がこれでもかと使われつつも、それらを作ったのは人間の方であり、そうした人間はきわめて欺瞞的な存在であり、「馬鹿は死ななきゃ治らない」と結論づけられています。
しかし同時に、「僕」は自分が「いてもいなくなってもいけない」とも感じており、たとえ「馬鹿」であるとしても実際に「死」が訪れるまでは「現世」を生きなければならないのだと絶望しているのです。
しかし、そんな絶望は真の意味で考えるということのスタート地点でもあります。絶望してない人にとっては、どう生きるかということは「神様」や“バイブル”が啓示してくれるべき事柄なのかも知れませんが、神様にも絶望している「僕」が発した「ならば どうすればいい?」という問いに誰かが答えてくれることはありえず、言わばその問いに、「僕」は生まれて初めて真剣に苛まれ始めているのだとも言えます。
同様に、今週のみずがめ座もまた、何らかの“死”に至るまでどう生きるべきかを改めて自分の言葉で問い直していくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
思考の虫干し