みずがめ座
牙を研ぐ
Amok的人民
今週のみずがめ座は、「Amok」という英単語のごとし。あるいは、へらへらした愛想笑いをやめ、真顔になって緊張感を取り戻していくような星回り。
この「amok」という形容詞の意味は、「荒れ狂った、逆上した、殺気立った 混乱した、めちゃくちゃな」などですが、ここで例として挙げたいのは、アラブやインド、ロシアなどのいったん火が付いたら止まらない民衆の狂騒であり、さらに言えば、日本人というのも実はそうした性質を多分に持っていて、現代風の理性的な佇まいを装いつつも、実際にはコントロール不能な情動に大いに流されやすいところがあるのではないでしょうか。
とはいえ、どんなに理不尽な施策をお上から押し付けられようと、日本人のメンタリティーからすれば人前で単体でキレたり、口角に泡を吹かせてその理不尽さを訴えたり、行動に出たりといったことはまずありえません。
かといって、名実ともに優れた指導者も不在であり続けるだろう令和においては、Amok的性質が何らかの社会運動に結びつくこともなく、日本社会はただひたすら、暴露系YouTuberのごとく醜い私人性を垂れ流し、それを享受しては連鎖させていくだけの、「ぶっちゃけ」を美徳とするヘタレ集団へとなり下がった、というのが現状な訳ですが、それでもGAFA的アメリカナイズされた単なる一消費者に収まって、歯牙の抜かれた飼い犬になることだけはなんとか避けたいところです。
その意味で、14日にみずがめ座から数えて「天使も踏み入れるのも恐れる場所」を意味する11番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、改めてそんなAmok的人民のひとりとして、どうやって自分の/自分たちの牙を磨いていくべきかを問うていくべし。
子規の求道
例えば、俳句というのは決して王道を歩いて権威に認められたり、逆に真っ向勝負をするというものではなく、いったん離脱するとか、斜めから切り込むとか、そういう「対抗するもの」としての本質がある芸術で、俳句に哲学性と技巧性を持ち込んで高度に結晶化させた松尾芭蕉などは、あえて旅に生きる漂泊に徹することでその境地を深めていきました。
ただ、時代が進むにつれそうしたことが次第に難しくなっていった中、明治時代において俳句革新を志し、俳句と短歌を日本近代詩として刷新した正岡子規の場合は、長い病床生活こそがその鍵となりました。
結核からカリエスを患って、35歳の若さで亡くなるまので7年間は根津の一軒家でほとんど寝たきり生活を送りましたが、そこで生活空間が極端に狭まっていった。子規はそれを逆手にとって、目に映るわずかな空間を細密画を描くように、ものすごく微細に詠み、幽体離脱のように自分の体を脱け出して、実際には見えるはずのない庭の光景を詠んでいくことで、芭蕉とは異なる道を開拓していったのです。
いずれにせよ、新しい対抗の道を開拓していく際には、何らかのハンデを負いながらやるというのが常だった訳ですが、今週のみずがめ座もまた、グローバル資本主義がいよいよ極まりつつある今の時代において、いかにハンデを負い、自分なりの対抗的アプローチを見出していけるかがテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
日常こそが最大の舞台