みずがめ座
呼吸を止めて一秒あなた
厳かな儀式
今週のみずがめ座は、『かほ洗ふ水の凹凸揚羽くる』(杉山久子)という句のごとし。あるいは、日常生活よりもリアルな運命の在りようを感じ取っていこうとするような星回り。
朝目を覚ましてすぐに、顔を洗っている。洗面器に張った水が揺れて、凹凸をなしている。気付くとそこに、揚羽が飛んできていた。
顔を洗っていると、自然と顔の凹凸を改めて感じるが、それをそのままスライドさせて、「水の凹凸」と言い表したところに、作者の非凡な感性が感じられます。
それは単に水面という「もの」に凹凸が存在しているというより、凹が凸へと変化する動きの一瞬を捉えてみせることで、そこで日常の時間の流れが一気にスローモーションに切り換わり、結果的に黒い揚羽がそばに飛んできたという偶然を招き入れることができたのではないか、という不思議な考えをこちらに与えてくれるのです。
この句の主人公は、おそらく庭に開けた空間で顔を洗っているのだと思いますが、この句全体から受ける印象は、単に日常生活の中で気分を変えた感じを出している以上の何か、例えば近づきつつある運命を迎え入れるための厳かな儀式のような印象を受けます。
その意味で、23日にみずがめ座から数えて「実質」を意味する2番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした厳かな瞬間をいつも以上に大切にしていくべし。
呼吸するも一つの快楽なり
かつて西田幾多郎は「かかる世に何を以て楽しみとして生きるか」という自問に「呼吸するも一つの快楽なり」と答えたそうですが、現代人のほとんどは「過換気症」的な状態にあると言われ、これは過度なストレスで身体が興奮状態にあるときに息を吸い過ぎて苦しくなってしまうといういわゆる過呼吸に近いものです。
気分的には何かに追われている、慌てている感じで、つねに何かをしていなければならないという強迫的な焦りや不安やイライラを抱えており、特別なにか深刻な悩みを抱えていなくても、身体の状態そのものが不安やイライラに陥りやすい状態にある訳で、はっきり自覚できればまだいい方で、多くの人ははっきりした自覚もなくそういう状態にあります。
これは近代に入って以降、称揚されてきた科学的合理主義やその成果としてのテクノロジーといったものが、精神と身体をつなぐ半自覚的な営みである呼吸を完全に抑圧・忘却することによって広まりを獲得してきたことの反動でもあり、特に明治以来「科学教」とさえ言えるほどに後追いでそうした近代精神を取り込んできた日本では、掲句の「揚羽」に象徴される運命の訪れを感知できないほどに致命的な身体の崩壊を招いてしまった訳です。
その意味で、今週のみずがめ座にとって、西洋的な合理主義を乗り越えようと全身全霊で取り組んだ日本人の1人である西田幾多郎の言葉は、十二分に立ち返る価値のある言葉といえるでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
運命の感取もまた一つの快楽なり