みずがめ座
軽みと遊び
「無縁」の場を求めて
今週のみずがめ座は、「博打と船人」のつがいのごとし。あるいは、より自由な居場所を求めていこうとするような星回り。
日本の中世では「博打(ばくち)」を職人の一種として捉えたり、芸能の1つとして考えられていましたが、さまざまな職人を2つセットで取りあげ位置づけ、13世紀から14世紀にかけて作られた『東北院職人歌合』では、はじめは「巫女(みこ)」とつがいにされていた「博打」が、やがて「船人」とのつがいに変わっていくことが確認できます。
この変遷の理由について、ある研究者は船人は「板子一枚下は地獄」という危険性と、博打の危うさが共通しているからではないかと述べている一方で、別の研究者は船が博打が最もよく行われる場所の1つだったということであり、船のなかは市場と同じようなアジール、すなわち世俗の権力が及ばない治外法権の場だったからではないかと述べています。
いずれにせよ、刑法で「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」と定められている現代の日本で、博打がそのまま仕事として認められることはありませんが、少なくとも博打を一種の芸能や職能とする見方は日本社会の底流にいまだに流れ続けているように思います。
その意味で、たとえばバーチャル空間、宇宙空間など法律の整備がまだまだ追いついていないアジールのような「無縁」の場に立っていたり、自身で作り出せるような仕事についている人は、いわば現代の「博打」なのであり、人間は自然とそういう場を求めていく傾向があるのではないでしょうか。
その意味で、16日にみずがめ座から数えて「open」を意味する10番目のさそり座で満月を迎えていくあなたもまた、アクセスする情報や空間を拡張していく先で、そうした「博打」的な要素が入り込んできやすいかも知れません。
船宿の遊び方
例えば、かつて日本各地で興行目的に建てられた木造劇場である「芝居小屋」の出入口というのは、もともとわざと小さく作られていて、茶室の“にじり口”も一説にはこの木戸口(芝居小屋の出入り口)が起源なのだとされています。つまり、戸を後ろ手でしめて閉じこもってしまうと、そこに別世界が開けてくるのですが、木戸口がにじり口の起源であるとする説の他には、船宿がそれだというものもあります。
船宿の世界というのは、いっとき閉じこもることは閉じこもるけれども、ときどき外をのぞいたりするように出来ていて、そこに流れる景色がさっと心に入り込んでくる。完全な密室に自分を押し込めるというのとは違うからこそ「いき」な世界でした。
つまり、この「ちょっと外をのぞく」というところが大事で、例えばわき目もふらずに恋人にベターっとくっついて、一途になるのでは“軽み”も"遊び”も足りないとされました。それが江戸時代の美学であり、自由に生きる上で必須の浮気心というものだった訳です。
今週のみずがめ座もまた、そんな船宿の世界のように、閉鎖的になりがちな心象世界にパッと“外”へつながる通路を開いて、さらさらと流動していきたいところ。
みずがめ座の今週のキーワード
あえて危うさを抱え込む