みずがめ座
知識より推しを語れ
一句入魂
今週のみずがめ座は、『春尽きて山みな甲斐に走りけり』(前田普羅)という句のごとし。あるいは、知識などなくても気持ちの強さで押し切ってしまうような星回り。
甲斐の隣りの信濃あたり、ないし越中あたりで詠まれた句でしょうか。作者はもともとは東京生まれ東京育ちでしたが、関東大震災を機に富山へ移住した人。
ちょうど春が終わって初夏へと向かう季節であり、掲句ではその勢いのままに吹きわたる爽やかな風が青葉若葉をひきつれて、連なる山々の尾根をざーっと縦走していくのが見えるかのよう。
本来は動かないはずの山が、いっせいに疾走しているかのように感じるのは、それだけ作者が夏のおとずれを楽しみにしているからでしょう。他ならぬ自身の抑えきれないはやる気持ちが、無言で静まっていた山をも動かしてしまったのです。
細かい技巧など凝らさずとも、気持ちひとつでこうして1つの世界観を成立させてしまうところが、何と言っても俳句の面白さと言えるのではないでしょうか。
同様に、5月1日にみずがめ座から数えて「心的基盤」を意味する4番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の深いところで揺れ動いている気持ちや衝動をきちんと捉えていきたいところです。
南方熊楠における「縁の論理」
民俗学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)は自身の構想した宇宙-生命モデルとしての「南方マンダラ」について、師であり親友でもあった土宜法龍(どきほうりゅう)に宛てた手紙の中で次のように書いていました。
今日の科学、因果が分かるが(もしくは分かるべき見込みあるが)、縁が分からぬ。この縁を研究するのがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯綜して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。
熊楠は宇宙そのものである彼の「マンダラ」を、まず「諸不思議」の集合としてとらえ、次にそれにマンダラ構造を与え、最後に「縁の論理」によって動きと変化を生みだすことで、そこに生きた生命体としての宇宙を見出そうとしました。
何となれば、大日に帰して、無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙、たとえば顕微鏡一台買うてだに一生見て楽しむところ尽きず、そのごとく楽しむところ尽きざればなり。
そう、熊楠にとって学問とはこの宇宙の無尽無究、すなわち「大日如来(すべての命あるものの根源)」というマンダラが変化し、運動しながら、つぎつぎと新しい自分の姿を人間の知性の前に示して見せる万華鏡体験のごときものだったのでしょう。
今週のみずがめ座もまた、そうした生きた体験の本質にある「縁の論理」をつかまえ、自分なりの万華鏡体験を追求していくことがテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
感動体験(諸不思議)の集合としての小宇宙