みずがめ座
いかにならう
神秘の感触
今週のみずがめ座は、『烏賊(いか)に触るる指先や春行くこころ』(中塚一碧楼)という句のごとし。あるいは、斬新な方法で自身を刷新していこうとするような星回り。
やっと巡ってきた穏やかな春を惜しむ「春行く/行く春」を歌に詠む伝統は和歌以来の伝統ではありますが、烏賊(いか)の感触との取り合わせが斬新な一句。
触覚体験というのは、指や肌で直接触れるときだけに限られた話ではなくて、見るとき、味わうとき、匂いをかぐとき、温度や湿度を感じるときにも私たちは世界に触れており、いわば他の感覚体験のなかに浸透している人間の魂のひとつの活動なのだと言えます。
掲句においても、それくらい全身をつかって、春が行こうとしている心に触れようとしているのだと言えますが、この触覚ということの神秘性について、ルドルフ・シュタイナーは「もし人間が触覚というものを備えていなかったなら、人間は神的感情を持つことはなかったでしょう」とまで述べています。
というのも、触覚はほかのあらゆる感覚の無意識的基盤の役割を果たしており、人はそれを通してみずからが浸っている空間の移ろいをまさに直接的に感じ取っていくことができるからです。
4月13日にみずがめ座から「深い実感」を意味する2番目のうお座で木星と海王星が重なっていく今週のあなたもまた、言葉や勉強によって自身の改革をはかろうとするのではなく、より本能的で原始的な回路を使って自身を刷新していくべし。
あれかこれか(二項対立)を超えるために
キリスト教以前に栄えた文字を持たない民族であるケルト人は、トリスケル(Triskell)という渦巻紋様を大切にしていました。3つ巴状になった渦の集合であるトリスケルは、ケルト人の死生観を表わす「生、死、再生」の象徴であると解釈されてきました。
鶴岡真弓と辻井喬の対話『ケルトの風に吹かれて』では、いま改めてそんなケルト文化のどこに注目するべきか、ということについて次のような発言がなされています。
ケルトの文化のあり方として非常に面白いなと思ったのは、中心というのかな、これがケルト文化のメッカである、中心だというのがないんですね。それは、なくて当然で、遍在しているのですから、中心があったら近代的になってしまう
この「中心をもたない」という工夫は、脳だけに価値を置かない生理学的な意味だけでなく、脱・中央集権や脱・人口の一極集中など、社会・政治システム的な意味でもいえることのように思いますし、そこからこそ人間と自然、と肉体、過去と未来などを明確に区別していく近代合理主義的な知とは異なる知が開けていくのかも知れません。
今週のみずがめ座もまた、現代人の感覚とはたぶんに異質な古代人の感覚を取り入れてみるといいかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
「脱中心」の世界観への開かれ