みずがめ座
変容への許可
セザンヌのりんご
今週のみずがめ座は、世界に投げ込まれた林檎のごとし。あるいは、自分のすむ世界をもう前の世界ではないものへと変更させていく潜在的な力を解放していくような星回り。
美術史家のメイヤー・シャピロは、セザンヌの描いた静物が単なる造形的意義を超えた特別な意味を持っているとして、次のように言及しています。
静物は、人工的にせよ自然なものにせよ、使用、処理、享受の要素として人間に従属する物体からなっている。それらの物体は手の届く範囲にあってわれわれより小さいものであり、それらの存在と位置は人間の活動と目的によってきまる。それらは人間がそれらを作り、利用するとき事物に及ぼす力についての人間の感じ方を伝達する。(「セザンヌのりんご」)
つまり、セザンヌにとって林檎などの静物はそれを観察する主体に対してただ受動的に置かれているのではなく、能動的に働きかける力を持っており、実際彼は知り合いの美術家に「林檎一個でパリを驚かせてやりたい」と語っていたのだとか。
世界に林檎が投げ込まれることで、その世界のあり方、社会関係をひっくり返す可能性さえセザンヌは想像したのであり、おそらくその念頭にはギリシャ神話のパリスの審判や、そのきっかけとなったエリスが投げ入れた「最も美しい女神へ」と書かれた林檎のことがイメージされていたはず。
11日に自分自身の星座であるみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、現在目の前にある景観が別の景観へと変容するだろう予兆そのものに身をあずけていきたいところです。
自叙伝のたとえ
例えばあなたが自叙伝を書いていくとして。執筆の過程では何べんでも過去を書き直すことはできるし、未来へのビジョンや想いについても書き進めていくことができる。ただそこで唯一できないのは、「これが私だ」という明確な定義を与えること。これだけは自叙伝を書き終えた後に、それを読んだ人の心の中にぼんやり残るという形でしかありえない。
また、そこには時に“裏切り”も生じてくる。というのも、書くことや読まれることは本質的に自己への裏切りを含んでいるから。その意味で、先ほど書いた「変容への予兆」というのも、そうした裏切りへの予感に他ならず、そこに身をあずけるとは、たとえ自分が傷ついたり、何らかの破綻が起きたとしても、行き詰まりや緊張状態から、少なくとも動きが生まれていくことをよしととして、変容を許していくということでもあります。
今週のみずがめ座には、そうしたある種の不穏さがついて回りますが、もろとも表面化させて、あとは「読者」たる周囲の人間の反応に応じていくのも一興でしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
パリスとエリス