みずがめ座
荒天航海
桶の中で揺れる水
今週のみずがめ座は、「野分中(のわきなか)汲み来し水の揺れやまぬ」(馬場移公子)という句のごとし。あるいは、根本情調としての「不安」にすすんでアクセスしていくような星回り。
掲句の「水」とは、ただ台所の蛇口をひねって入れてきた水ではなく、おそらく汲み上げ式になっている井戸水でしょう。「野分」つまり台風接近時の雨を伴う強風が吹き荒れるなか、庭に出て行って当座で使うだろう分量の水を桶かバケツに確保してきた訳です。
ところが、そうして汲んできた水は室内の床に置いても、いつまでも揺れ止むことがないのだと言うのです。まるで「野分」の力がそこに宿っているようでもあり、また、迫りくる嵐をやり過ごさなければならないという作者の不安な内面を反映しているようでもあり、おそらくはその両方が作者の念頭にあったのではないでしょうか。
つねに柔軟に形を変え続ける清らかな水は、一方で、どんなに堅固な防衛機構をもすり抜けて私たちのこころと直接つながって、予測不可能な仕方で荒れ狂うこともある。そんなことを思い出させてくれる句とも言えます。
9月7日にみずがめ座から数えて「感情のもつれ」を意味する8番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、内面が穏やかならぬ時ほどまずは素直にその表面のゆらぎを受け入れ、見詰めていくべし。
オデュッセウスの対話
桶のなかで尚も揺れる水とは、あるいは、自分自身との対話の象徴なのかも知れません。その意味で思い出されてくるのが、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスの話です。
その長い旅の途中、度重なる苦難に疲れ果て、絶望状態に陥ってしまった連れの兵士たちに彼は「現在の難儀もいつの日かよき思い出になる」と言って励ましたのだといいます。
しかし、その言葉は果たして彼らの慰めになったでしょうか。もしいずれ苦難が思い出に変わるような幸せな日が来たとしても、それは一時的なものであり、人生はその本質において無惨なものであることに変わりはありません。けれど、そのことを人間はなかなか受け入れられず、ないものねだりを繰り返してはその度に失望を深めつつ、苦し紛れに駄々をこねてしまう。おそらく、オデュッセウスもそうだったのでしょう。
ただ、今のみずがめ座ならば、そろそろ自分自身の痛々しさや、みじめなあわれさ、そしてどうしようもない人生の残酷さを、そういうものだと割り切って認めていくことができるのではないでしょうか。
今週のあなたもまた、オデュッセウスのように「耐え忍べ、わが心よ。おまえは以前これに勝る無惨な仕打ちにも辛抱したではないか」とよく自分に言い聞かせ、人生を長大な自己との対話に仕立てていくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
悲劇と神話は表裏一体