みずがめ座
ハートの倫理
テクネーの本質
今週のみずがめ座は、ヒポクラテスの「人の一生は短く、術(テクネー)は永い」という箴言のごとし。あるいは、個人的な損得を超えた物差しを改めて自身の職業倫理にあてていくような星回り。
今から二千数百年前に活躍していた古代ギリシャのヒポクラテスは「医学の祖」として知られ、専門職としての医者のあるべき姿を神々に誓った『ヒポクラテスの誓い』によって知られています。
そこには「この医術(テクネー)を私に授けた人を親と同じように敬愛し、持てるものを分かち、必要あるときには助ける」など、プロとしての誇りや同業者や仲間などとの相互扶助の精神が強く打ち出され、それゆえにこそ時代遅れな理想論として忘れ去られているものでもあります。
しかし、彼が病気というものを特定の原因によって生じる独立した実体ではなく、季節や天候、食事の不摂生など生活全体に関わるものとして考え、医者のつとめを人体に備わった自然治癒力を引き出すことの中に見出していた点などは、現代のホリスティック医療の原型ないし先駆けとも言えるのではないでしょうか。
そして、そうした医術を何より「魂の癒し」として捉え、人への愛を基本としたヒポクラテスの姿勢は、冒頭の箴言と結びつくことで新薬をとっかえひっかえ処方したり、効率化や合理化の波が押し寄せている現代医療への批判にも繋がっていくはず。
15日にみずがめ座から数えて「伝統の引き算」を意味する10番目のさそり座で新月を迎えていくあなたもまた、引きついでいくべき伝統と失くしていくべき伝統とをよく見極めていくことがテーマとなっていきそうです。
血と心臓と愛と
かつて生物学者のライアル・ワトソンは『生命潮流』のなかで、生命の本質を「時間的・空間的広がりと、広がりへの意志」として捉えました。また、精神科医ウジェーヌ・ミンコフスキーは『生きられる時間』において、時間は「…力強い大海原である。それは生成である。…時間は流れ、過ぎゆき、償いがたく逃れ去る。が同時に、それは前進し、進歩し、無際限でかつまた捉えがたい未来へ向けて出立する」と述べました。
彼らのような視点は、シンボリズムの世界では古来より人と世界を貫いて巡る「血」と、その循環を司る「心臓」において表現されてきました。少なくとも18世紀までは、「血液はすべての体液の父」と言われてきましたし、からだ中を絶えず流動して濡らす血は、死体の不動と対照をなし、長きにわたる伝統に基づいた生命の象徴だったのです。
動脈を通して臓器や四股の末端まで酸素や栄養分を届け、静脈を通じて働きを終えた血液を戻すという心臓の「正しい動き」のおかげで、肉は生温かくなり、人は自己を自立して構成し、話し、聞き、動き、見、触れ、味わい、匂い、愛しあうことができる。
さらに言えば、こころ動いたときに流れる涙も、人に対する愛もやはり血であり、心臓から送られてくる波であり、人と世界を貫いてめぐる生命現象なのではないでしょうか。
つまり、生命としてきわめて自然な衝動に文字通り身を任せていくとき、脳という小君主の小賢しい作為や操作をこえて、血と心臓という対に第三の用語である「愛」が加わっていくのだということ。今週は、そうした足し算もまた頭の隅に置いておくといいでしょう。
今週のキーワード
まず心臓(ハート)から語り、動くこと