みずがめ座
日本人のあきらめ方
無常感の高まり
今週のみずがめ座は、「無から生じたものがもとの場所に戻った。それだけのことさ」というつぶやきのごとし。あるいは、不安の深淵を確かめていくこと。
これは村上春樹の初期作品『1973年のピンボール』の主人公のセリフであるというだけでなく、その後の村上作品の主人公たちに通底していく根本情調でもあり、また、現代の青年たちのつぶやきでもあったように思います。
それは「未来」を先回りして否定的・消極的な結果を受け取っている「今」を生きている者の感覚であり、「どうせ」という言葉の語感にも近い。つまり、「どうせ失敗する」であり、「どうせ死ぬ」である。
そこで思い描かれる未来は上昇曲線でもなければ水平的推移でもなく、どこまでも下降でありゆるやかな衰退に他ならず、したがって今はいつだって無常感において捉えられ、つぶやくごとにそれは哀感を帯び、やがてある時を境に無常美感とも言えるような甘美な自己憐憫に達していく。
それは、不安や諦めをまぎらわせたり、忘れたりするのとは逆に、むしろいっそう深めて、純粋化し極限化していくことで、不安の深淵を確かめ、心の動揺を収束させていこうという心の自然な働きなのかも知れません。
17日にみずがめ座から数えて「不安の根源」を意味する8番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで避けてきたものや苦手な相手と思いきって向き合ってみてはいかがでしょうか。
生命交替のドラマ
1953年に公開された小津監督の『東京物語』は、家族崩壊の物語であると同時に、生命交替のドラマでもありました。それを象徴しているのが、東京で医者になっている長男たちに呼ばれて上京し、しかしいまは多忙な都会人となってしまった長男やその妻、長女らにもなじめず、厄介払いされるように熱海で一泊して、帰ってすぐに死ぬ老妻と残された老夫のありようでしょう。
もう60年以上前の映画ではありますが、ひるがえって現代に目を戻してみると、そこには老いも若きも等しく自分の生にこだわって死から目を逸らし、古い生命が新しい生命に立場を譲らず、新しい生命が古い生命を敵視するということが露骨になってしまった人間の姿があるように感じます。
これは言ってみれば、あるべき生命の交替のリズムがすっかり狂ってしまった、ということなのかも知れませんが、今週のみずがめ座はどこかでそうした「あるべき生命の交替のリズム」ということを思い描き、少しでもそれを取り戻そうという動きが出てくるように思います。
今週のキーワード
あるべき生命のリズムと循環