みずがめ座
透明な幽霊の複合体
命の点滅
今週のみずがめ座は、「蜩のなき代わりしははるかかな」(中村草田男)という句のごとし。あるいは、遠く離れた同志との交感を昂ぶらせていくような星回り。
初秋の夕暮れ時、よく鳴いていた蜩(ひぐらし)が鳴き終わり、また別のひぐらしが鳴き始めた。その別のひぐらしはかなり遠くの方で鳴いているようだ。
句意としてはそんなところでしょうか。ひぐらしがそうして鳴き継いでいくことで、夏はまだ完全に終わっておらず、秋はその兆しはあっても深まらない。一匹のひぐらしが死んでも、また別のひぐらしがまだ自分は生きていると名乗り出さえすれば、そうして命脈は保たれていくのです。
まるで宮沢賢治の『春と修羅』の冒頭に出て来る「有機交流電燈」のように、「はるか」な距離を隔てたはずのひぐらし同士がまるでひとつの現象のように、明滅し交感しあっているようでもあります。
ひとつの文明の終わりにおいてこそ文化の灯は煌々と燃え盛るように、何かを終わらせまいとする時には、それまでバラバラだったものがひとつとなって光りはじめることがありますが、そうした生物の本能は今のみずがめ座にとっても大事な指針となるはず。
26日未明にみずがめ座から数えて「一つのビジョン」を意味する11番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がいったい何の終焉に反応しているのか、そして、同じように反応している仲間といかに交感していけるのかが、改めて問われていくことになりそうです。
力の交流
不幸とかネガティブなことがあると、私たちは個人として力が失われたと感じてしまいますが、それが徹底して力を失っていって、ある極点を超えるところまでいくと、どうもかえって別の力を得ていくということがあるのだということ。それが今週のみずがめ座が直面していきやすいテーマなのだと言えるでしょう。
これは例えば、介護や医療の現場などで、病人や弱者とされている人達が、かえって周囲の人を支え、元気づけ、時に大きな変容をもたらしていく光景などを見たことがある人であれば、比較的想像しやすいはずです。
病気の子供を看病する親は、「自分が支えなければこの子は死んでしまう」という思いにさらされることで、「自分にしかできないことがあった」という気付きを得ていくのです。
そういう自分のかけがえのなさみたいなものを教わることがあるとすれば、それは不意に誰かの弱さやはかなさに心打たれてしまった時に他ならないはずです。
今週のあなたもまた、自分だけは死なないつもりで生きていくことをいったんやめて、自分は死んでしまうかも知れないし、現に死につつあるということを、もっと真剣に考え、問いを深めてみるといいかも知れません。
今週のキーワード
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です