みずがめ座
赤子回帰
欠如の原理
今週のみずがめ座は、吉野弘の「生命とは」という詩のごとし。あるいは、欠如を満たすということに意識と身体を向けていくような星回り。
詩人が五十代になってから書かれたこの詩は、どんなにがんばっても人間は一人では絶対に生きていけないのだという黒黒とした実感に満ちています。冒頭部分だけ引用してみましょう。
「生命は
自分自身だけでは完結できないように
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ」
世界というのは、ちっぽけでささやかなことから出発するのでなければ、その全景はかえって見えてこないけれど、この詩はそうした想像力の使い方のお手本のように思えます。
特に引用箇所の最後の三行には、厳しく慎ましやかな欠如への自覚と、実り豊かな享受の喜びとが見事に同居している精神性が宿っており、生命における‟欠如の原理”がいきいきとした流動体になって詩人に注ぎ込まれているようです。
5月30日にみずがめ座から数えて「弱さの露呈」を意味する8番目のおとめ座で、上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、理屈ではなく体感としてこの世はじつに“関係だらけ”なのだという真実に直面していくことでしょう。
再統一をめざして
2世紀ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは、自ら書き残した『自省録』において、まずこの宇宙について、一なる魂をもつ一つの生き物として考えよと述べます。
さらに、万物がどのようにして一なる感性に帰っていき、またどのようにして一なる欲求からあらゆることをなすに至ったのかを考えよ、と。
つまり、彼にとって「宇宙」とは赤ちゃんにとってのお母さんのおっぱいのように、自己をそこから切り離してはならない、すべての根源でありました。そして、その上で、次のように言うのです。
「おまえは、あの宇宙の本質的な統一から、どこかに自分を投げ出してしまったのだ」
いつだって私たちは、何かを失ってからしかその大切さに気付くことができない。ただし、人間には再び自らの統一を取り戻していく可能性も与えられている。
二度と失いたくないと心から思えるものは何か、今週はきちんと心に問いかけさえすれば、それがはっきりと浮かび上がってくるでしょう。
今週のキーワード
お母さんのおっぱい的存在