みずがめ座
鈍い痛みと覚醒
他人との会話
今週のみずがめ座は、村上春樹の「午後の最後の芝生」という短編の一節のごとし。すなわち、「不在の他者」を通して改めて他者と向き合っていこうとするような星回り。
少し前に遠距離恋愛をしていた恋人に手紙で別れをつげられた主人公の「僕」は、芝刈りのアルバイトで向かった家の中年女に誘導され、女の娘の部屋を見、洋服ダンスを開けさせられます。
「どう思う?」と彼女は窓に目をやったまま言った。
「彼女についてさ」
「会ったこともないのにわかりませんよ」と僕は言った。「服を見れば大抵の女のことはわかるよ」と女は言った
おそらく、女の娘は亡くなっているのですが、そこで真空に空気が流れ込むようなある作用が「僕」に働くのです。
「僕は恋人のことを考えた。そして彼女がどんな服を着ていたか思い出してみた。まるで思い出せなかった。僕が彼女について思い出せることは全部漠然としたイメージだった。」
立春に続き、10日(月)にはみずがめ座から数えて「他者との対等なパートナーシップ」を意味する7番目のしし座での満月を迎えていく今週のあなたもまた、誰かの存在が心の空白にそっと流入してくるかのような感覚を抱いていくことができるかも知れません。
「彼女」に注意してください
先の「僕」は娘の部屋でとりとめのない想像を続けるうち、次のような実感を覚えていきます。
彼女の存在が少しずつ部屋の中に忍び込んでくいるような気がした。彼女はぼんやりと白い影のようだった。(中略)僕はウォッカ・トニックをもう一杯飲んだ。
「ボーイ・フレンドはいます」と僕は続けた。
「一人か二人。わからないな。どれほどの仲かはわからない。でもそんなことはべつにどうだっていいんです。問題は……彼女がいろんなものになじめないことです。自分の体やら、自分の考えていることやら、自分の求めていることやら、他人が要求していることやら……そんなことにです」
「そうだね」としばらくあとで女は言った。
「あんたの言うことはわかるよ」
ここで僕が言及している「彼女」とは、一体誰なのでしょうか。つまり、女の娘と別れた恋人、どちらのことを言っているのか。あるいは、どこがどう繋がっているのでしょうか。
今週のみずがめ座にとっても、それは大切な問題であるように思います。
今週のキーワード
矮小さの自覚