みずがめ座
大胆なる誤訳
型を崩すということ
今週のみずがめ座は、上田敏が訳したヴェルレーヌの「秋の歌」のごとし。あるいは、風に散りまどう枯葉のように、自分を崩して流れに身を任せていくような星回り。
瞬間を写しとったスナップショットのような日本の俳句と違って、西洋の詩には「物語」すなわち建築的に構成された時間の流れがあり、説得やそのための饒舌がありますが、みずがめ座というのはどこかそうした西洋の詩と似たところがあります。
ただし、28日(月)にみずがめ座から数えて「到達点」や「社会的影響力」を意味する10番目のさそり座で新月を迎えていく今週は、そうした自身の元来の性質を犠牲にしてでも今自分が得たいものを得ていくことが少なからず求められていくはず。
その意味で、原詩の短い四音節詩句を五音に移したことで流麗な訳詞となっている点で、翻訳というよりむしろ創作に近いと言える上田敏が訳したヴェルレーヌの「秋の歌」は、今週のみずがめ座にとって一つの指針となっていくように思います。以下、その全文です。
「秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。」
付け足しと抜け落ち
日本語としての出来栄えでは、数ある詩の翻訳の中でも最高の名訳の一つと言えるのではないでしょうか。しかし、これは完全な誤訳でもあります。
例えば、冒頭の上田が「秋の日のヴィオロンの」と訳した箇所。
原文には「日」という言葉はなく、「秋のヴァイオリン」とするのが正解で、上田はあえて余分な言葉を付け足している訳です。かと思えば、「げにわれは~」の下りでは原文にある「意地悪い風にはこばれて」という文言がすっぽり抜け落ちてしまっている。これは到底見過ごせない問題です。
とはいえ、上田の意図はそれなりに明白で、原文のヴァイオリンの音になぞらえられた激しい秋風が、悲痛に、すすり泣くように吹きすさんでいる冬のパリの情景を、落葉舞う公園を歩いていると、どこかの家からヴァイオリンのもの悲しい音が聞こえてきたという秋の日本の情景へと仕立て直そうとしたのでしょう。
それによって、原文の小説的な展開のメリハリが消える代わりに、斜に構えた意外性(偶然性)が読者の想像力に訴え、はかなさの情を喚起させることには成功しているように思います。
ある意味で、肉を切らせて骨を断つような紙一重の芸当とも言えますが、今週のあなたもまた、そうした芸当に近い試みを行っていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のキーワード
換骨奪胎