みずがめ座
脱・人間中心主義の試み
「壊せば」の意図
今週のみずがめ座は、「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」(安井浩司)という句のごとし。あるいは、潮の満ち引きのように栄枯盛衰を繰り返すあらゆる文化文明そして人生のはかなさに感じ入っていくような星回り。
ここでは俳句そのものが一つの謎となっている。
おそらく「ひるすぎ」というのは、不穏な気配が少しも漂わない、人が経験しえる最も安らかなひとときの象徴的表現だろう。「小屋」というのがどんな目的のために作られ、いつからそこにあるのかは分からないが、「ひるすぎの小屋」は永遠に存在するように思われる。
しかし、そんな小屋は突然壊される。その跡地にはすすきが一面に茂っていて、午後の穏やかな光を浴びて燦然と輝いており、圧倒されるものを感じざるを得ない。
なぜそうした光景が示されるに至ったのかは分からないが、「壊せば」とあるので、想像とはいえ作中主体は確かな意志で小屋を壊しているのだ。これは作者なりの人間中心主義からの逸脱の試みとして読みたい。
そして14日(月)早朝のおひつじ座での満月に向け、徐々に月が満ちていく今週のみずがめ座もまた、一種の生まれ変わりへの助走をつけていくことがテーマとなっていきそうだ。
「はかない」という感受性
何らかの強いクライシスを経験した時、より根源的な生き方・感じ方のレベルで「はかない」という感受性が育まれる。いわゆる無常感を表す感情だが、竹内整一の『やまと言葉で哲学する』を参考にすれば、「はかない」とは2つの仕方で起こってくるのだという。
①今ここにある「みずから」の存在やその営みが、けっして「はかる」ことのできないかけがえのないものであるということの感受。
つまり、ひたすら結果・成果のみへと「はかる」ことではない、今ここにあること自体の一回性の尊さ・いとしさ・おもしろさへの感受が可能であるということ。
そして、そうしたことを感じ取るということは、同時に
②「みずから」を包みこんである、「はかる」ことのできない何ものか(神や仏など)の働きの感受でもあるということ。
つまり、「はかない」とは自らのあり方の有限性や否定性を介すことで現れてくる、おもしろさや美しさというものがあるという発見やその驚きでもあるのだろう。
その意味で、掲句は②の仕方を通して浮かび上がってきたはかなさのビジョンなのだとも言えるが、こうした感受性をどれだけ深められるかということは、やはり今のみずがめ座にとって鍵になってくるはずだ。
今週のキーワード
遠い遠い祖先からの遺伝的記憶としての無常感