みずがめ座
コスモスの一部であるということ
自分を生かすために
今週のみずがめ座は、「死角から冷たい枝が伸びてゐる」(矢口晃)という句のごとし。あるいは、自分の作り出す作品をひとつ上のレベルに引き上げていくためのきっかけをつかんでいくような星回り。
毎日、各種メディアを通じてたくさんの手垢のついた感動が量産されている今の社会では、人は容易に身の周りの「色」を感じなくなり、感性の窒息状態に陥ってしまう。
感性に水が遣られなくなれば、枯れるしかない。そして症状が末期に近づくほどにだんだん自分が生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなってくるはず。
掲句は、そんなギリギリのところで自分の感性が生かされた体験を、過剰な演出を加えることなくできるだけ平たい表現で素朴に詠んでいる一句のように思える。
枝が「冷たい」と感じたのは、それを感じとったこちらの感性がまだ凍えているからだろう。伸びゆく枝は、本来生命力にみち、鮮やかな色を放っているもの。
その意味で、死角からもたらされた枝は、やがて土に染み込む水のごとく視界に伸び広がって、鮮やかに感性を色づけていくに違いない。
23日(金)にみずがめ座から数えて「再誕」や「生まれ変わり」を意味する5番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週は、自分から積極的に盲点を突かれにいくことで、これまで以上に豊かな色彩を取り入れていく上でのひとつの転換点を迎えていくはず。
生命力を解き放つ
例えば、なぜ人は傷つくことがあってなお、誰かを愛そうとするのでしょうか。あるいは、ひどく批判されることがあっても、なぜ表現することをやめられないのか。
それは、生きていくモチベーションを自分ひとりだけで持ち続けるのは困難だから、という理由に尽きます。
まあ、ややこしいことはさておき、今週のみずがめ座のテーマもまた、これからも生きていくために、いかに人を愛しうるか(愛されるかではなく)、というところにあるのだとも言えます。
「われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私のからだの一部であるように、私もまた太陽の一部なのである。」(T・H・ロレンス『黙示録論』)
一般的には『チャタレー夫人の恋人』の作者として知られるロレンスがテーマにしたのは、近代社会の狭くせせこましい道徳の中でがんじがらめになった生命力を、偽善の拘束から解き放つことでした。
同様に、「いかに人を愛しうるか?」という命題は、今週少なからずあなたの“生まれ変わり”に関わってくるでしょう。
今週のキーワード
色彩と陶酔