みずがめ座
いびつさを受け入れる
粛々と
今週のみずがめ座は、でこぼこしていていびつな現実の手触りのごとし。あるいは、ツッコミが入ることをどこか粛々と受け入れていくような星回り。
Twitterなどをやっていると、「あ、この人はツッコミを必要としていないのだな」と感じたり思うことが、ときどきあります。
リアルな世界の顔見知りであれ、界隈で名の知られた有名人であれ、そんな場面を見かけると少し寂しい気持ちになるものですが、しかしそういう人が後を絶たないのは、もしかしたら自分のズレを矯正する気がないと宣言する方が、今の社会では人気が出たり得をしたりするからなのかも知れません。
今週は3日にかに座で新月が起こり、続けて4日に親密な対人関係を司る金星もかに座入りしていきますが、みずがめ座から数えてかに座は6番目の位置にあり、これは「調整」や「自己批判」を意味します。
それは淡々と自分の価値観や視点を保持することでみずからの存在感を静かに放っていこうとするみずがめ座にとっては、どこか調子が崩れるように感じられるタイミングと言えるかも知れません。けれど、それは健全なリアリティーを取り戻していくためにはきっと必要なことであるはず。その意味で今週は、楽しんでとまではいかなくても、粛々とツッコミを受け入れていきたいところです。
記憶と戒め
かつて村上春樹は元・オウム真理教信者へのインタビュー集である『約束された場所で』という本の中で、次のように書いていました。
「残念なことだが、現実性を欠いた言葉や論理は、現実性を含んだ(それ故にいちいち夾雑物を重石のようにひきずって行動しなくてはならない)言葉や論理よりも往々にして強い力を持つ」
確かに、この本でインタビューを受けている元信者たちは、みなどこか論理性を盾にツッコまれることを避けているような印象を受けます。
別に事件そのものや宗教そのものを考える訳ではなくても、いま日本に住んでいる自分たち自身について考えていく上で、こうした過去の記憶や痛みを思い出していくこともまた、改めて必要なことと言えるでしょう。
なにせ私たち人間というのは、とかく大事なことを忘れてしまうものですから。
今週のキーワード
論理性を盾にしないこと