みずがめ座
名もなき詩
翁さぶる
今週のみずがめ座は「老醜をさらせるわれも少しだけ翁さぶるか木枯の日は」(前登志夫 )という歌のごとし。あるいは、生身の自分を演じることで、状況を切り開いていくような星回り。
「翁さぶ」は「神さぶ」や「乙女さぶ」のように、神事の演舞がなされる際につけた仮面が演じ手になじんてきた様を表す言葉で、「様になる」という日本語に近い。ただ、そこで演じられているのは、神でも乙女でもなく、あくまで「翁(老いたの男)」である。
老人もかつては「長老」「翁」として尊ばれ、重宝されていたのに、今ではすっかりお荷物扱いされ、近年では「老害」などと非難されることもあるが、「老醜」という言葉はそれに比べるとややニュートラルな印象だ。
草木が枯れて、空気も乾燥する木枯らしの吹く冬はある意味で老人の季節であり、そこで老醜を隠すのではなく、みずから晒していこうという機知は、どこか木枯らしの日も旅を続けた芭蕉を想起させる。
時の経過は誰においても平等にもたらされるが、それをどう受け入れ、寄り添い、自分のものとしていけるかには、どうしても個人差が出てくる。
今週はどうにか歳相応の自分を演じていくなかで、老いを豊かさに変えていく手応えを掴んでいきたい。
赤のままのように
「赤のまま」は正式には犬蓼(いぬたで)と言って、道ばたや線路沿いや土手の斜面など に雑草にまじって生い茂り、紅色の小花をたくさんつけて揺れている、なんでもない草の1つ。
そういう、なんでもないような存在のほうが、かえって心に染み渡るように感じられるの が人情というものだろう。
言葉によって傷ついた心は言葉によってしか癒すことはできないが、そういう言葉はなにも立派な教訓や、大きな声や、偉い学者の著書の一節である必要はなく、案外なんていうことのない花がそれとなく発した言葉であったりもするものだ。
きっと「翁」を演じた作者が目指したのも、そんな言葉であったに違いない。
ありきたりな言葉で自分を表すことができない時は、まずそうした在るようでない、ないようで在るという仕方で、あなたのそばに寄り添ってくれている存在に目を向けてほしい。
今週のキーワード
機知とユーモア