みずがめ座
自分を貫くということ
創造というギャンブル
今週のみずがめ座は、「打ちみだれ片乳白き砧かな」(泉鏡花)という句のごとし。あるいは、たとえ批判されようと、自分の好みを堂々と貫いていくような星回り。
俳句は熱心に詠んでいるうちに、次第に自分の好きなものに似てくると言います。
たしかに芭蕉の俳句はどこか旅に似ているし、蕪村の俳句は絵に似ている。ということは、猫が好きな人は猫のような俳句になっていくし、タロット占いが好きな人はやはりタロット占いみたいな俳句になっていくのでしょうか。
考えてみればこれはなかなかに怖ろしいことで、掲句でもその怖ろしさが垣間見えている。
片方の胸があらわになるほど一心不乱に砧を叩いている女人を描写していますが、どこか狂気をはらんでいるところが、いかにも鏡花らしい。
今週のあなたもまた、自分の生き写しでも作りあげるつもりで、何事かに取り組んでみるといいでしょう。
鬼が出るか蛇が出るか。それとも仏が出てくるか。そんな博打に乗ってみるのもたまには悪くはないはずです。
自らの生き写しをつくる
いまや累計一千万部を超える大人気シリーズとなった北方謙三の大水滸伝は、近年に書かれたエンターテインメント小説のうちでも傑作と呼べるものの1つでしょう。
もともとは明代の中国で書かれた伝奇歴史小説を蘇らせたものですが、そのままでは矛盾や不自然さが目立つ「ヘンな物語」であるオリジナル版を大胆にも解体し、経済面や政治的要素を独自に設定しつつ再構成していくことで、この大仕事は成し遂げられました。
ただ、北方版の最大の魅力は何と言ってもキャラクター造形の妙でしょう。
例えば、オリジナル版では腐敗した政府に抗する反乱軍のリーダー・宋江(そうこう)が、なぜ豪傑たちのリーダーなのかさっぱり分かりませんでした。
地方都市の小役人上がりで、武に秀でる訳でもなく、見栄えもしない。
完全に神輿の上にいるだけの聖人君子キャラなのですが、北方版では「人の痛みや悲しみに寄り添わんとする深い決意」を持ち、同時にどこか「鈍感」で「女好き」な人間臭い人物として描きなおし、それが物語に命を吹き込んだ訳です。
これもやはり、作家本人の死生観や人間観が見事にのりうつっていった好例と言えるのではないでしょうか。
はたして「自分を貫く」ということは、思惑や技巧をこえたところで、まるで自分の生き写しとしか思えない要素が次々と現れてきてしまうということであり、今のあなたが目指すべきも、そんなところにあるように思います。
今週のキーワード
貫くとは創り続けるということ