isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
水は低いところへ流れゆく
今週のおひつじ座は、身体を伴わぬ、俯瞰からのみ世界を体験しがちな現代人が忘れてしまったものを、取り戻していこうとするような星回り。
作家・恩田陸の『上と外』の主人公である日本人兄妹は、ヘリコプターから放り出されて密林に落ち、視界ゼロの緑の世界、「上」を失った世界を、子供ながらアウトドアの技術を駆使して通り抜け、密林の中に立つマヤの古い神殿の地下迷宮で行われる「成人式」に参加を余儀なくされていきます。
それは「王」と呼ばれる一頭のジャガーが徘徊する迷路を、三日間生き延びるという過酷な試練でしたが、兄の練は「人に見られている自分でもなく、自分が考えている自分でもなく、ただ一歩ずつ壁を登ってゆく、物理的にも精神的にもぴったりとずれることなく重なり合った、まさに等身大としか言いようのない、そのまま一人きりの自分がいるのだ」と感じるように。
また、妹の千華子は「どんな目に遭っても、前進するためには頭を切り替えて考えることが大事なのだ、落ち込んだり悩んだりしている時間があるというのは贅沢なことなのだ、ということが身体に刷り込まれていたのである」と。あなたも兄妹のように、「下と中」からこそ自分自身やその生きるべき現実を捉えなおしていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のおうし座の運勢
失楽園だったり砂漠世界だったり
今週のおうし座は、諦めと図太さのはざまで日常を楽しんでいこうとするような星回り。
神の禁を破り、「善悪の知識の実」を食べたアダムとエバが楽園を追放されて以来、彼らの子孫である人間は神のいないこの地上世界での生を余儀なくされるようになり、私たちは大小の罪を犯し、それを悔いたり、忘れたりしながらどうにかそれぞれの人生を全うせんとしている。
「失楽園らしくとうもろこしを焼く」(阿部青蛙)では、冒頭の「失楽園らしく」でそんな世界観を引き受けつつ、「とうもろこしを焼く」のだという。ある種のあきらめか、開き直った者特有の図太さか。日本人にとって「失楽園」には言葉の響き以上の重みはあまり持っておらず、作者もそのことは分かった上でこの句を詠んだのではないでしょうか。
つまり、色々なことを反省したり、悔いたりする“ふり”をしながら、これからも私は生きていくし、とうもろこしだって焼いておいしくいただくのだ、と。あなたも、あらためて執着と傷つきやすさを適度に宙吊りにしていく術を学んでいきたいところです。
今週のふたご座の運勢
悲しくなろうよ
今週のふたご座は、声なき声を身に宿してそれをさらに深めていこうとするような星回り。
もしあなたが物語を書いて本にして出したなら、一体どんな肩書きを名乗るでしょうか。かつてどこかで、高橋源一郎が「小説を書いて作家というのはつまらない。小説は「大説」に対する小説だから」と述べていたことがあります。
大説というのは仏教の経典であったり、大上段から天下国家を語ったりするものであって、それに対して小説というのは本当に小さなことをあえて取りあげていく。
それはつまらないものでございますという卑下であると同時に、声なき人たちの声を聞き、名もなき人たちのところに視点を置いて、人間のもっとも弱い部分、一番みじめな部分を書くことで、結果的にそこに光を見出していくのだという自負であり、それこそが物語や小説の得意としていることなのだと。あなたもまた、自己顕示ではなく、あくまで自己を深化させていく方向に力を使っていくべし。
今週のかに座の運勢
真実一路
今週のかに座は、カオス(自然)に取り囲まれたコスモス(生命)。
「女陰の中に男ほろびて入りゆけり」(堀井春一郎)という句は、まず「ほろびて」の一語が切ない。人間は誰しも「女陰」より生まれ、「女陰」へと帰っていく。けれど一度そこから出てきてしまえば、そう簡単には帰れないのがこの世の定め。
だからこそ、男はそこに執着もすれば、狂いもする。人一倍の働き者にもなれば、女にしがみついて早死にする者さえいる。どれが高等で、どれが劣っているなんてことはないのだ。彼らはみなそれぞれの仕方で女陰に戻らんと「ほろびて」いっただけ。
作者の場合は、たまたまそのうちの最後になってしまった訳ですが、それを悲劇と呼ぶか喜劇と呼ぶかは距離感の取り方次第であって、いずれにせよ、作者はただそこへ突っ込むだけの男根の愚かしさのほどを、身に沁みて分かっていたはず。あなたもまた、いずれは滅びゆく身として、それゆえにこそ一心に美と秩序とを求めていきたいところ。
今週のしし座の運勢
仙人になるということ
今週のしし座は、理想的な生き方におのれを近づけていくような星回り。
種田山頭火の「俳句の理想は俳句の滅亡である」という言葉は、明治44年(1911)に雑誌に寄稿された『夜長ノート』からの一節。作者が同時代の俳人と一線を画していたのは、こうした自身の文学理念をそのまま流浪の生活としても実践した点でした。
仏教に「捨身(しゃしん)」という言葉がありますが、実際に仏門に入った彼を支配していたのはそうした「捨て身」の精神であり、どこで野垂れ死にしようが頓着しないという風狂の美学であり、彼に妻子があったことを思うとその徹底ぶりは尋常でなかったことが少しは伺われるはず。
つまり、室町時代の怪僧・一休を思わせるそうした時代を超えた風狂性と、伝統に反旗を翻すモダンなアヴァンギャルド精神の稀有な融合こそが、山頭火の真骨頂だったのです。あなたも、自身がいのちを懸けてでも体現したい理想やビジョンを改めて思い出していくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のおとめ座の運勢
雨すなわち花としての芸
今週のおとめ座は、サッと変わっていくための“てこの原理”を見つけていこうとするような星回り。
「雨つねに鮮(あたら)し森のかたつむり」(村上鞆彦)という句は、普通に読めば、雨はつねに新しいということと、森のかたつむりが目の前にいるという事実が単に並べられているだけの説明的な印象。
ただし、これを五七五の音で区切ると、中七は「鮮(あたら)し森の」となり、森もまた雨によってつねに新しくなっている、というイメージが加わり、そのしたたるほどに新鮮な森でのびのびと身体を伸ばしている「かたつむり」の姿が自然と浮かんでくるはず。
文章では説明的な事実の羅列だったものが、俳句という形式を通すことで途端にリアリティが変わってしまうというある種の魔術化のプロセスを踏んでいくという点では、掲句は今週のおとめ座と通底するところがあるように思います。あなたもまた、今の自分や現状には一体どんな魔法が必要なのか、改めて考えていきたいところです。
今週のてんびん座の運勢
完璧であるよりも、程よくあろう
今週のてんびん座は、自分なりの「完成形」を思い描いていくような星回り。
8世紀前半、北京の宮廷内にあったアトリエ「綺絴宮(きしょうきゅう)」にて、中国人画家たちと仕事をしたイタリア人画家カスティリオーネは、東アジア特有の「百駿図」(百頭の馬の絵)を、ヨーロッパの強い陰翳法によって馬の筋肉の動きや馬飼いたちの衣装の襞も、克明に描いてみせました。
前向き、後ろ向き、横向き、足を交差させたりふんばったり、そして白、茶、灰色、ぶち、黒の色や、さまざまな方向、ポーズ、模様のバリエーションで組み合わされ、その組み合わせは、いよいよ百ぐらいの数に達していくのです。
こうした百図も、描く側に立って考えてみると、モデルは一頭の馬で十分だったろうことに思い至ります。一が百となり、百は一へ帰っていく。『百駿図』の中には「たった一個の存在の中にも全宇宙がある」というすぐれて東洋的な発想があったのです。あなたも、どこまでいったらorやったら自分は“上がり”なのかというゴール設定をいったん刻み込んでいくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のさそり座の運勢
あり得ないことこそがあり得る
今週のさそり座は、個人的であると同時に、普遍的な思いに触れていくような星回り。
「昼顔(ひるがお)」の花は朝顔に似た、やや小さな淡紅色(たんこうしょく)で、夏の日盛りに咲くもの。つるは道端や家の壁など何にでも絡みつき、かなり高いところまで登っていく非常に強い生命力を持ち、花もつるも見る人に強い印象を与えます。
「ひるがほに電流かよひゐはせぬか」(三橋鷹女)では、昼顔にそういう強い生命力を感じとった作者が、つるから花へと電流が通っているに違いないと直感したのです。この直感は、彼女の資質からくる個人的なものであったと同時に、表現史上に普遍的な意義を刻んだことにより、この句に出合って以降、多くの人が昼顔を見ると電流が通っているのを感じざるを得なくなったのではないでしょうか。
この句の「昼顔」には、それだけの衝撃的で、詩的なリアリティがあったし、それはこれからも変わることはないはずです。あなたもまた、強い生命力の持ち主に触発されて解き放たれていくことがあるかも知れません。
今週のいて座の運勢
贈与と偶然
今週のいて座は、「生き延びた」という声が思わず口から漏れていくような星回り。
「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものは、ない」という言葉は確か、作家でイタリア文学の翻訳者であった須賀敦子さんが、やはりイタリアの詩人の言葉として紹介されていたものだったように思います。
長く生きていると、この言葉があったからこそ、何か大変なことがあるたびに、つらく大変なのは自分だけではない、と肩を抱かれるように思わせてくれる言葉と出合うことがありますが、個人的にはこれもそのうちの一つ。それはたいてい、自分の心のなかにありながら、自分ではうまく表現することができずにいたものに言葉が与えられたような、世界からの贈与と呼ぶべき体験でもあるのでは。
そうした心から必要としているにも関わらずお金で買うことのできないものとしての贈与については、学校でも、社会に出てからも、誰も教えてくれませんし、だからこそ私たちは生きる傍らで詩や小説を読み、占いをし、そうして時おり日常のやり取りの外へと出ていこうとするのかも知れません。あなたもまた、どれだけ自分がそうした贈与に開かれ得るかが問われていくはずです。
今週のやぎ座の運勢
目に意志を宿すべし
今週のやぎ座は、時代と向き合うだけの「目」を確かにしていこうとするような星回り。
「暗闇の目玉濡さず泳ぐなり」(鈴木六林男)という句で、作者が泳いでいるのは、一体どこなのでしょうか。現代の感覚で想像するならプールですが、この句が作られたのは昭和23年(1946)で、作者は激戦地から帰還してきた負傷兵。しかしおそらく空間的な暗闇ではなく、時間の暗闇だったのではないでしょうか。
すなわち、人生の一時期に突き落とされた、見も知らぬ他国の人間と殺し合いをしなければならないという大いなる理不尽を抱えた戦争という暗闇を九死に一生の思いで生き抜き、これからもまた敗戦後の社会という未知の暗闇を、ひたすらに生き抜くのだという作者の確かな意志がここに込められていたのではないかと。
そして、この「目玉」とは、時代の混沌のなかで何が真実で何が正義であるのかを見極めるための目でもあったはずです。あなたもまた、目に意志を込めていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のみずがめ座の運勢
愛と知性をもつがゆえの罠
今週のみずがめ座は、疲弊させられる関わりからの逸脱をはかっていくような星回り。
僕たちは今、つながりというものに疲れ果てているように思います。会社で働いていればつねに賞与を決めるために細かく評価され続け、SNSでもイイネやRTの数がそのまま自身の存在に対する認知や評価に変換され、それに一喜一憂し、振り回され、また時に傷つきつつも評価を落としたくないばかりにそのことに蓋をして笑顔をつくろうとする。
それだけでなく、身近な他者からの善意を絡めたコミュニケーションにも心から安心できずにいる。いや、厳密には「いい人だと偽る人」からのコミュニケーションでしょうか。「あなたのためを思って」といった前置きとともに投げかけられる欺瞞的な言葉を、僕らは愛を受け取りたいという欲望と、物語によって物事を合理化する能力によって呪いに変え、みずからがんじがらめになっていく。
けれどそれは、僕たちが愛と知性を備えているがゆえに陥ってしまう必然的な展開なのであり、僕たちは呪いとともに生きていかねばならない。だからこそ、呪いにかかるだけでなく、時に応じて、呪いを解いていくことも必要であるはず。あなたも、みずからを労わり慰めていく上で必要な手順を改めて確認していくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のうお座の運勢
思いも「馴れずし」のように
今週のうお座は、心臓の鼓動がいつもよりより一層高まっていくような星回り。
「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」(与謝蕪村)に登場する「鮒ずし」とは、近江の特産品で、馴れずしとも呼ばれる江戸時代のスローフード。あの独特のすえた匂いは苦手な人もいるかもいるかも知れませんが、作者はそれを好物としていて、近江の街道沿いの茶店などで食していたのでしょう。
また「城にかかる雲」という表現も、故事にならえば、密会や情交を促す雲なのではないでしょうか。その意味で、掲句はただ一通りの叙景を述べてみせたものというより、さり気ない仕方で表しつつも自身の高まる気持ちが抑えきれずに溢れだしてしまっている、とても「エモい」句なのだと言えます。
では、作者は誰に対してそのような高揚感を抱いていたのか。それは彦根という土地が、作者が師と仰いだ松尾芭蕉が愛した土地であり、遺言によりこの地に埋葬されていることを考えれば、もはや説明は不要でしょう。あなたも、いつも以上に自分がより自分らしくなっていくのを肌で感じ取っていくことができるかも知れません。
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