isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2021年上半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
遊離すなわち転生
今週のおひつじ座は、白昼夢に取り込まれていくような星回り。
春になって初めての蝶を見かけ、「初蝶(はつちょう)だよ」と声を掛けると、「何色?」と問われ、「黄色」と答えた。「初蝶来(く)何色と問ふ黄(き)と答ふ」(高浜虚子)という句は、そんな何気ないやり取りを、スピード感のある口調で一気に詠いあげた句。
初蝶の話題をふれる相手がいること自体が嬉しいのだろうという推測は立つものの、問いに答えているのは誰かという疑問が。もちろん、普通ならばそれは作者ということなるのですが、初蝶自身が答えているのだとも読めるはずです。
その場合、白昼夢のような体験とも取れますが、それは自分自身の魂が蝶となり代わり、胸乳を突き破って遊離している景なのだとも言えるかも知れません。あなたもこれまでの日常と地続きの現実を生きる自分とは別に、もう一つの現実を生き始めつつある自分を見出していくことでしょう。
今週のおうし座の運勢
息の長い貢献を目指して
今週のおうし座は、かっこつける美学の代わりに、かっこ悪く地味にやるということを大切にしていくような星回り。
哲学界のアイドルであり、真の賢者の地位に長らく担ぎあげられてきたソクラテスは、挑発的な言動を徹底して繰り返し、ついに何も書き残さないまま、みずからの美学に殉じて死刑宣告を受け入れて死んでいきました。
確かにそれはかっこいいし、伝説的な存在として歴史に名を刻んだ訳ですが、しかし弟子のプラトンはそんな師の最期を見て考えるところがあったのでしょう。ソクラテスが殺されないような世界を作らなければならないと決心し、彼はアカデメイアという学校を作りました。
アカデメイアの中にはプラトンの考えに批判的な反プラトン派もおり、学頭が二代目、三代目になると早速プラトンを批判していたりとか、多様性を許容して、「カリスマ的な権威」であるとか「絶対的な師弟関係」を開いていったのです。あなたもまた、ちょうどいい多様性を担保していくことでみずからの活動の持続性を高めていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のふたご座の運勢
虚飾と心情
今週のふたご座は、行く末を見つめるまなざしを深めていくような星回り。
「死を怖れざりしはむかし老の春」(富安風生)は、数え年92歳のときに詠まれた句。作者はこの句に触れて「今年九十二艘(そう)と一歳だけサバを読んだことになる」と述べたそうですが、そうしたゆとりの中にありながら、それでも年老いた今あらためて死が恐いという率直な気持ちが込められています。
若者には若者の死の恐怖があり、子供には子供なりの恐れがある。むしろ、死と抗い生きようとする意志が強いだけに、かえってかすかな死の兆しや可能性が差し込んでくるだけでも敏感に反応してしまうところがあったのでしょう。作者も20代で結核を患い、療養生活を余儀なくされた経験がありましたから、そのことはよく分かっていたのだと思います。
ただ、今はもう死が間近に迫って、あとはもう来るものが来たら受け入れるだけ。それでも、やはり、怖いものは怖い。そういう一切の虚飾を捨てた心情が、若き頃への懐かしさとともに、ここでそっと提示されているのです。あなたもまた、みずからの最終的な落ち着く先をなんとはなしに思い定めてみるといいかも知れません。
今週のかに座の運勢
私における振り幅
今週のかに座は、対極的な生き方へと心が振れていくような星回り。
旧約聖書に登場する、人類最初の殺人の主人公であるカインとアベルの兄弟ですが、実際の『創世記』の記述はきわめて簡素であり、特に弟のアベルについては数行あるばかり。兄カインは、創意工夫にみち、また協力しあうことの大切さと、豊かさの価値を知る「大地を耕す者」でしたが、一方のアベルは自由で孤独な遊牧民であり、そうした生き様はかれらの名前にも象徴的に表わされていました。
ヘブライ語でカインの名は「得る」という意であり、アベルとは「口からもれるはかない息」、そして「空(くう)」をあらしたのです。名前風にするなら、得夫と空介といったところでしょう。
神は弟アベルをひいきし、それが引き金となってアベルは殺人を犯したとされますが、個人的に推測するなら、神はただ文字通り「真空」を象徴するアベルに引き寄せられ、力学的原理に基づく自然な結果をもたらしただけなのではないでしょうか。あなたも自分の人生のどこかにある“真空”へと、少なからず引き寄せられていくはず。
今週のしし座の運勢
春のメメント・モリ
今週のしし座は、忘れていた力のみなぎりをかすかに取り戻していくような星回り。
春になれば水が温(ぬる)み、水が温かくなれば目高(メダカ)が浮かぶ。「目高浮く最中へ落る椿哉」(溝口素丸)は、そこへ椿(つばき)の花が落ちてきた情景が詠まれています。のんびりと泳いでいたメダカたちもきっと一斉に四散してしまったに違いありません。そしてその後には、嘘のような静寂だけが残されていたはず。
すべてがゆるやかに弛緩していく春のさなかに訪れた、一瞬の動と静。それはまた、まだどこか寝ぼけまなこだったいのちあるものたちを目覚めさせるには十分な出来事だったのではないでしょうか。掲句にもどこか江戸の世において、戦乱の火種やその兆しに対する鋭敏さを忘れてはいない者たち特有の嗅覚のようなものが感じられます。
しかし江戸であれ現代であれ、いつの世にあっても、いのちの感覚を深めてくれるのは死の予感に他ならないのです。あなたもまた、危機意識とともに個としての強さとは異なる別の力が、次第に充ちてくるのを感じていくことでしょう。
今週のおとめ座の運勢
結びつける快楽を求めて
今週のおとめ座は、ギブ&テイクの限界を思い知っていくような星回り。
近内悠太さんの『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』という本には、貧困問題に取り組む活動家・湯浅誠さんの『反貧困』に登場する実話が取り上げられています。認知症の母親と二人暮らしをしていた54歳の男性は苦労を重ね、「他人様に迷惑をかけてはいけない」という父親の教えに従って「死ぬしかない」と母親を殺め、みずからも自殺を図ったという、何とも言えない悲劇です。
近内さんはここに人間の活動やその生産物のすべてをサービスや商品として捉え、どこまでも交換の論理を押し進める資本主義の限界を見て取り、先の実話の男性の判断を「交換の論理の導く帰結」と分析してみせました。
交換(ギブ&テイク、ウィン-ウィン)の論理に基づく社会とは、裏を返せば「交換するものがなくなったとき、あらゆる関係は解消される」社会なのであり、そうした社会で封じられた言葉こそ、追い詰められた際に誰かを頼って、つながりを求める「助けて」というひと言だったというわけ。あなたもまた、「迷惑」という排除の理屈をこえて、頼り頼られ、助け助けられるつながりやそれを引き寄せるためのアクションへと勇気をもって進んでいくことがテーマとなっていきそうです。
今週のてんびん座の運勢
ひかりかがやく青二才
今週のてんびん座は、改めていろいろな可能性を身に宿していくような星回り。
春は光あふれる季節であり、人の服装だけでなく、野山がさまざまな色に彩られていきますが、「水ぬるむ日のあをいろを鳥に巻く」(小津夜景)に出てくる「あを」とは実はとても古い言葉で、「青(あお)」でもなくかと言って「赤(あか)」でもないさまざまな色みや状態を指していました。
例えば、現代でも未熟で経験の浅い人などを「青二才」などと呼びますが、これもかつて使われた「あを」の名残りであり、ここではもはや混ざり気のない真っ白ではなくなったものの、まだはっきりとしたカラーを持つにはいたっていない状態が暗に含まれています。
すなわち、「水ぬるむ」ことによって、新たな季節の到来とともに、微妙であわい、中間的なこの世界の質感が呼び出され、それが花のようにはっきりと観察することが難しい鳥のうちにこそ宿りつつあることがそっと告げられているのです。あなたもまた、どんな自分さえも道半ばである限り、滑稽などということはないのだということに気が付いていくことでしょう。
今週のさそり座の運勢
未知という不透明な経路をたどって
今週のさそり座は、創造的なエクササイズに取り組んでいくような星回り。
カリブ海フランス領マルティニック出身の作家エドゥアール・グリッサンは、複数の言語の接触と衝突によって生じた言語的異種配合と多言語共存という自身のバックグラウンドに立った上で、自己表現という場においていかに引き受けつつ、そのジレンマを超えられるかという問題に触れて次のように述べました。
「不透明性は、それ自体のなかに力を秘め隠しており、外的な根拠によって正当化されることがない。そしてそのことによって、不透明性は「透明性」という概念が私たちを疎外してしまうことに断固抵抗するための力を与えてくれる。」ハイチの亡命演劇集団クイドールによってマルティニックのフォール・ド・フランス市で上演された演劇の主要部分はハイチアン・クレオールで語られたため意味は分からなかったが、そのとき、未知という不透明な通路をたどって、理解に到達したのだ、と。
ここでいうクレオールとは、意思疎通ができない異なる言語圏の間で自然に作り上げられた言語のことを指しますが、グリッサンはそうして引き裂かれた言語のなかにこそ、言葉にふたたびポエティックな生命を与える力を見出し、その自覚的な使用を訴えかけたのです。あなたも誰か何かに「語られて」しまうのではなく、自然なポエティックスとともに自ら「語る」行為のなかで、ある種の生まれ変わりを経験していくことができるはずです。
今週のいて座の運勢
この世界の片隅に
今週のいて座は、帰郷者の心理。
「春風や小藪小祭小巡礼」(小林一茶)は、作者52歳の春頃の作。長年の故郷を離れて江戸でひとり孤独に暮らしてきた作者が、ついに正式な許諾とともに土地を得て帰郷したよろこびがよく表れているように思います。
雪解けした北信濃では、ささやかな春祭が催されていたのでしょう。小さな藪が風に揺れ、そこをひっそりとした巡礼が通っていく姿にふれて、作者のなかでにわかに幼なごころがよみがえってきたのでは。子供がいつまでも味のしなくなったガムをもてあそび続けるように、すでに初老をこえた作者もまた、ここでそんな幼なごころをおおいにしゃぶっているような印象すら受けます。
仮にすでに失われたものであったとしても、「故郷」という言葉のひびきから人が何とも言えない懐かしさを感じるのは、そうして幼なごころを通してみずからが何か大きなものの一部だった感覚を思い出すからかも知れません。あなたもまた、まだ自我が溶けだして環境と一体となっていた頃の感覚を部分的に思い出していくことができるはず。
今週のやぎ座の運勢
亡命と製作
今週のやぎ座は、闘う個人としての本質に立ち返っていくような星回り。
『知識人とは何か』の著者であるエドワード・サイードは、パレスチナ人としてエルサレムに生まれ、カイロで教育を受け、プリンストンとハーバードで学位をとった越境的キャリアの人であり、西洋植民地主義によって辛酸をなめさせられてきた背景の持ち主でもありました。サイードは知識人にもインサイダータイプとアウトサイダータイプの2つに分けることができるとした上で、その詳細について次のように述べています。
「いっぽうには現状の社会そのものにどっぷりと浸かり、そこで栄耀栄華の暮らしを送り、反抗とか異議申し立てだのという意識にとりつかれることもない人びと、いうなればイエスマン。もういっぽいにはノーマン、すなわち社会と角突きあわせ、それゆえ特権や権力や名誉に関するかぎり、アウトサイダーとも亡命者とも言える個人。」
続けて、サイードは後者を知識人たらしめる最たる条件として「比喩としての亡命」ということを挙げた上で、それを「安住しないこと、動きつづけること、つねに不安定な、また他人を不安定にさせる状態」から後戻りしないでいることに他ならないのだと結論づけるのです。あなたも自分にとって「越境」とは何を意味しているのかを問うことで、ひとりの周辺的存在としての自覚を深めていくことができるかも知れません。
今週のみずがめ座の運勢
死角から獣きたれり
今週のみずがめ座は、他ならぬ自分自身に丁寧に触れ、感じていこうとするような星回り。
猫にはさまざまな顔がありますが、「恋猫の恋する猫で押し通す」(永田耕衣)では「恋する猫」が季語として使われています。人間にはいわば決められた発情期はありませんが、逆に身体の要求にまっすぐな猫にとっては春はまさに恋の季節。夜ごと雄猫が雌をもとめて一心不乱に鳴き声をあげる光景が見られます。
作者はおそらく、種としての習性や、おのれの性(さが)にどこまでも素直な猫にひとりの人間として憧れを抱いたのでしょう。「押し通す」のは猫ではなく人間ですが、自分の性(さが)を素直に生きようとすれば、人間社会では「押し通す」だけの強さが求められるのだという自嘲の響きも感じられるはず。しかし同時に、それこそが人間なのだという表明でもあるのでしょう。
作者は“根源俳句”を標榜し、存在(生命)の根源を追求し、それに触れていくことを目指したとされていますが、そうした根源精神について、作者は日本画家の小林古径の「いい絵というものは柿一つ描いてあっても宇宙を感じさせますね」という言葉を引いて語っています。あなたも天から与えられた恵みとしてのおのれの性(さが)というものを受け入れて、素直に従っていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のうお座の運勢
新たな自然の形成
今週のうお座は、みずからの内に巣食う人間中心主義のエゴイズムを破壊していこうとしていくような星回り。
「悦ばしい腐敗、土になりうる人間」とは、奈良の里山で米と大豆と鶏卵を自給しながら他の生物と格闘しながら共生している東千茅さんの初の著書『人類堆肥化計画』の出版記念トークショーの副題であり、対談相手の吉村萬一さんの言葉を借りれば、「堆肥化とは異種とズブズブの関係になること」を指すのだそうです。
著書によれば、人間が堆肥になるための3つの要素として、「①扉を開く、②寝転ぶ、③甘やかす 」が挙げられ、これはすなわち①感性の解放、②人間が余計なことをしないことで異種の生物がしてくれる、③そして進んで異種に利用される、ということ。そこには一介の生きものとなり果てて、比喩などではなく文字通り地べたを這いつくばる、東氏の腹の据わった覚悟のようなものが通奏低音のように流れているのが感じられるはず。
東氏によれば「共生とは、一般にこの語から想起されるような、相手を思いやる仲睦まじい平和的な関係ではなく、それぞれが自分勝手に生きようとして遭遇し、場当たり的に生じた相互依存関係」であり、「里山は、歪(いびつ)で禍々しい不定形の怪物」「食いものにされているわたしは里山の胃袋の中にいる」というのです。あなたも堆肥となってズブズブに生きるべき「里山」のなかにみずからを見つけていくことがテーマとなっていくでしょう。
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